範宴は、うなずきながら、ほろりと涙をこぼした。
小さい手で、その眼を横にこすっているのを見て、慈円は笑った。
「明日から、一カ寺の住職ともなる者が、涙などこぼしてはいけない。……元気で行きなさい」
「はい」
衣の袖で、涙を拭いてしまうと、範宴は、別れ難(がた)ない眸(ひとみ)をあげて、師の顔を仰いだ。
「では、行ってまいります。お師さまの教えを忘れないで、励みまする」
礼をして、立って行くのである。
その姿を廊下の方で待ちうけていたのは、さっきから板縁に坐って、案じ顔に控えていた性善房であった。
すぐ手を取って、堂の階を降りてゆく。
そして、房の方へ歩いてゆくうちに、性善房が明るい顔で、何か訊ねているし、範宴も、今泣いたことなど忘れて、ききとして、彼の手をつかんで振ったり、その肩へ、ぶら下がったりして、戯れながら行くのだった。
(――何といっても、まだ子どもだ)慈円も、欄まで出て、うしろ姿を見送っていた。
だが、どうしてか、慈円には、その子どもである範宴が、巨(おお)きな姿に見えてならなかった。
一代の碩学だの、大徳だのという人に会っても、そう仰ぎ見るような感じは滅多にうけない自分なのに――と、時には冷静に自己の批判を客観してみても、やはり、どこかに範宴には凡(なみ)の人間の子とは、違うところがある。
(どこか?)と人に訊かれたらこれも困る。
どこも違いはない。
十歳の少年は、やはり十歳の少年である。
弘法大師や、古き聖(ひじり)の伝などには、よく、誕生の奇(き)瑞(ずい)があったり、また幼少のうちからあたかも如来の再来のような超人的な奇蹟が必ずあつて、雲を下し、龍を呼ぶようなことが、その御伝記を弥(いや)尊(とうと)く飾ってはいるが、これは慈円僧正も、必ずしも、すべてが然りとは信じていないのである。
むしろそれは、民衆が捧げた花環(はなわ)や背光であって、釈迦も人間、弘法も人間と考えてさしつかえないものと思っている。
近くは、黒谷の法然上人のごときも、民衆の崇拝がたかまるにつれ、
(聖のお眸は二つあって、琥珀色をしていらっしゃる)とか、
(ご誕生の時には、産屋に紫雲がたなびいて天楽が聞えたそうな)とか、
(文殊のご化身だ)とか、また、
(いや、唐の三蔵の再生だとおっしゃった)なと、本人はすこしも知らない沙汰が、まちまちにいいふらされて、それにつられて、
(どんなお方か)と、半ば好奇な気もちで集う信徒すらあるとのことだ。
しかし、その法然房には、慈円は、幾たびか会ってもみたが、いわゆる、異相の人にはちがいないが、決して、如来の再生でもなし、また、眸が二つあるわけのものでもない。
ただ、違うのは、
(どこか、ふつうの人間よりは、一段ほど、高いお方だ)と思うことである。
範宴に対して、慈円の感じていることも、要するにその、
(どこか?)であった。
しかし、慈円のその信念は、決して、あやふやな――らしいの程度ではなく、山の巌(いわ)根(ね)のごとく、範宴の将来に刮目(かつもく)しているのであった。