親鸞・登岳篇 黒白(こくびゃく) 7月(8)

座主の室で、銅鈴が鳴った。

役僧のひとりが、執務所の机を離れて、

「お召しですか」

ひざまずくと、帳(とばり)の蔭で、

「範宴をよべ」

と、いった。

「はっ」

「―――ここではなく、表の方へ」

「かしこまりました」

座主の慈円僧正は、そういってから後も、しばらく帳の蔭の机に凭(よ)って、紙屋紙(かみやがみ)を五、六枚綴じてある和歌の草稿に眼をとおしていた。

 それが済むと、何やら消息を書いて、

 「待たせたの」

 と、縁の方へ、眼をやった。

京から使いにきた小侍がひとり板縁に、畏(かしこ)まっていたが、

「どう仕りまして」

と、頭を下げた。

「では、これは月輪殿へおわたしいたして、よろしくと、伝えてください。

――慈円も、登岳の後、このとおり、つつがのう暮らしているとな」

「はい」

草稿と、消息をいただいて、京の使いは帰って行った。

月輪の関白兼実は、すなわち座主の、血を分けた兄であった。

で、時折に便りをよこして、便りを求めるのである。

慈円も、関白も、この兄弟は共に和歌の道に長けている。

ことに、僧門にあって貴人の血と才分にゆたかな慈円の歌は、当代の名手といわれて、その道の人々から尊敬に値するものという評であった。

座主は、使いを返すと、そこを立って、中堂の表書院へ出て行った。

居間々呼ばれるなら常のことであるが、表の間に待てとは、何事であろうかと、範宴は、ひろい大書院の中ほどに、小さい法体を、畏まらせて、待っていた。

「近う」

と、慈円はいう。

畏(おそ)る畏る、範宴、前に出る。

そのすがたを、慈円は、眼の中へ入れてしまいたいように、微笑で見て、

「入壇のことも、まず、済んだの」

「はい」

「うれしいか」

「わかりません」

「苦しいか」

「いいえ」

「無か」

「有です」

「では、どういう気がする」

「この山へ、初めて、生れ出たような…」

「む。……しかし、入壇の戒を授けたからには、おもともすでに、一個の僧として、一山の大徳や碩学と、伍して行かねばならぬ」

「はい……」

「白髪の僧も、十歳の童僧も、仏のおん目からながめれば、ひとしく、同じ御弟子(みでし)であり、同じ迷路の人間である」

「はい……」

「わが身を、珠とするか、瓦とするか、修行はこれからじゃ。

いつまで、わしの側にいては、その尊い苦しみをなめることができぬ。

わしに、少しでも、いたわりが出てはおもとのためにならぬ。

――師を離れて、真の師に就け。

真の師とは、いうまでもなく、仏陀でおわす。

――ちょうど東塔の無動寺に人がない。

枇杷(びわ)大納言どののおられた由緒ある寺。

そこへ、今日からおもとを、住持として遣(つか)わすことにする。

よろしいか、支度をいたして、明日からは、そこに住んで、ひとりで修行するのですぞ」