「わかりました」
若い夫婦(ふたり)は、しみじみと、範宴のことばを心に沁み入れてうなずいた。
渡船(わたし)が出る。
範宴は、性善房と一緒に、舷(ふなべり)へ立った。
狭霧(さぎり)が霽(は)れてきた。
箭四老人は、幾たびも、
「和子様――おからだを大切に――ご修行遊ばしませ」
彼にはまだ、範宴が、昔の十八公麿のように稚く見えてならなかった。
今も、和子様と、呼ぶのであった。
「爺も、無事に」
と、範宴が答えると、
「おさらばでございます」
萱乃と国助が、うるんだ眼をして、じっと見送る。
早瀬へ、渡船はかかっていた。
下流(しも)へ下流へと、船脚はながされてゆく。
箭四郎のすがたが、次第に小さくなった。
若い男女(ふたり)のすがたに、朝の陽が、かがやいていた。
(あの夫婦に、永く、幸福のあるように)と範宴は、仏陀に祈った。
河原には、小禽(ことり)が、いっぱいに啼いている。
何ともいえない、清々しさが、皮膚から沁み入るように覚えた。
だが、範宴は、山を下りてから事ごとに何か考えさせられた。
それは、(学問のための学問ではだめだ)ということだった。
自分が、きょうまで、霧の中に、刻苦してきたことは、要するに、それである。
人間を対象としない、古典との燃焼であった。
いくら、研究に身を燃焼しても、それがただ、古典に通ずるだけのものであったら、意味はとぼしい。
生きた学問とはいえない。
衆生に向って、心の燈(ともし)火(び)となる学問ではない。
自分の胸に、明かりを点(つ)けて、自分のみ明るしとする狭いものでしかない。
人間を知ろう、社会を知ろう。
――それこそ生々しい大蔵(たいぞう)の教典だ。
それによってこそ、初めて、真の仏教がものをいう。
河内路の白い土を踏みながら、範宴は、そんなことを考えたりした。
(しかし?……)とまた、惑いものするのだった。
(そういう考えは、まだ、生意気かもしれない。人生だの、社会だのというのは、そんな簡単なものではない。それに……まだ古典のほうだって、自分はまだ、ほんの九牛の一毛を、学んだばかりの黄口(こうこう)の青年ではないか。まず、しばらくは、夢想と、無明(むみょう)の中入って、専念、学ぶことが必要だ。――ただ専念に)と、行く手の法隆寺に、その希望をつなぎ、おのずから足に力が入るのを覚えつつ大和へ急いだ。