親鸞・去来篇 10月(1)

悔いと慚愧(ざんき)に、うちたたかれて萱乃は、

「――何もかも、私の嫉妬(しっと)からでした。……すみません、国助さんにも、お父さんにも」

くりかえすばかりだった。

嫉妬は、女を炎にするが、その迷いから出ると、女は、不愍(ふびん)なほど、真実な姿にかえって、浄化される。

性善房は、箭四郎に、

「おぬしは、娘御のこれほど慕っている国助が、気に喰わぬのか」

とたずねた。

「いや。気に喰わんというわけじゃないが、世間でとかくよういわぬから、娘の行く末を託するに足らぬ男と思うていたまでじゃ」

「その誤解も、今は、解けたであろうが」

「うむ……」

「解けたついでに、心まで打ち溶けてみる気はないか。――親がゆるして、添わせてやるのじゃ」

「わしにも、落度があった。国助の心ばえも、今夜はよう分ったゆえ、男女(ふたり)の望みにまかせましょう。――そして萱乃」

「はい……」

「良人の力になって、共稼ぎに働いて、一日もはやく、遊女の群れに落ちている国助の妹とやらを救うてあげるのだ」

「きっと、働きます」

始めて、和やかなものが、家のうちに盈(み)ちた。

範宴も、うれしく思った。

夜も更けたわどに、人々は、空腹であった。

炉(ろ)に薪を加えて、萱乃は、粥などを煮はじめる。

話がつきないまま、人々は、明け方のわずかを、炉のそばに、まどろんだきりであった。

夜が明けると、

「では――機嫌よう、暮せよ」

二人は旅の笠を持つ。

きのうとは、生れ代ったような萱乃と国助は、明るい顔をして、途中まで見送ってきた。

箭四郎も、ついてきた。

「もう、この辺で結構です。

職人は、時間が金、きょうからは、約束したように、共稼ぎで働いてください」

範宴は、そういって、宇治川の河原にたたずんだ。

名残惜しげに、

「では、渡船場(わたしば)まで」

と話しつつ、歩いてゆく。

「あれをごらんなさい」

別れ際に、範宴は、悠久とながれている大河の姿を指さして、若い男女(ふたり)へいった。

「――天地の創造された始めから、水は、天地の終わるまで、無窮の相をもって流れています。

われわれ人間とてもその通り、人類生じて以来何万年、またこの後人類の終るまで何億万年かわからぬ。

その、無窮にして無限の時の流れから見ると、人の一生などは、電光(いなずま)のような瞬間です。

その瞬間に、こうして、同じ時代に生れ合ったというだけでも、実に奇(く)しき縁(えにし)と申さねばならぬ。

いわんや、同じ国土に生れ、同じ日のもとに、知る辺となり、友となり、親となり、子となり、また、夫婦となるということは、よくよくふかい宿命です。

……だのに、そのまたと、去っては会い難い機縁の者同士が、憎みあい、呪いあい、罵りあうなどということは、あまりにも、口惜しいことではないか。

――見るがよい、こうして話している間も、水は無窮に流れて、流れた水は、ふたたびこの宇治の山河に、会いはしない…」