それよりは少し前に清水坂(きよみずざか)の下を松原のほうへ曲って、弥陀堂(みだどう)の森からさらに野を横切ってくる二つの人影がある。
師の範宴の帰途(かえり)を案じてさまよっている性善坊と覚(かく)明(みょう)のふたりで、
「覚明、あれではないかな」
「どれ?」
「むこうの畷(なわて)」
「ほ、いかにも」
「松明(たいまつ)の明りらしい」
野を急いでゆくと、果たして、牛車に三、四人の郎党がつき添って西へ向って行くのであるが、どうやら道を迷っているものの如く、自信のない迷者の足どりが時折立ちどまってはしきりと不安な顔をして方角を案じているのである。
「うかがい申すが――」
不意に、こう覚明が声をかけると、車のそばの眼がいっせいにふり向いて、
「何かっ?」と、鎌倉ことばで強くいった。
「車のうちにおわすのは、もしや聖光院の御門跡様ではござりませぬか」
すると、簾(れん)の内で、
「おう」と、範宴の声がした。
「お師様」
性善坊はそばへ駆け寄って、宵の火事さわぎや、諸処を探し廻ったことを告げ、
「なぜ、いつにもなく、かような道へお廻りなされましたか。これでは、いくらお迎えに参っても、分かるはずはございませぬ」
「いや、西(にしの)洞院(とういん)から東の大路(おおじ)は、なにやら、六波羅に異変があって、往来を止めてあるとのことで……」
と、送ってきた従者が答えると、性善坊は、不審な顔をして、
「はて、あの大路は、つい先ほども幾たびとなく、師の房を探すために往(ゆき)還(かえ)りしたが、なにも、さような気配はなかった」
「でも、明らかに、役人が辻に立っていて、そう申すので、やむなく、並木からこの畷(なわて)へ出てきたが、馴れぬ道とて、いっこう分らず、困(こう)じ果てていたところ、お弟子衆が見えられて、ほっといたした」
「ご苦労でござった」と、覚明も共に、礼を述べて、
「これから先は、吾々両名でお供して帰院いたすほどに、どうぞ、お引取りねがいたい」
「では、牛車(くるま)はそのまま召されて」
「明日、ご返上申します」
「いや、雑色(ぞうしき)をつかわして、戴きに参らせる、それでは、お気をつけて」
送ってきた鎌倉者の侍たちは、牛飼もつれて、そこから戻ってしまった。
おぼろな野の中に牛車(くるま)をとめて師弟は、宵の火事のうわさだの、法(ほう)筵(えん)の様子だのを話しあって、しばらく春の夜の静寂(しじま)に放心を楽しんでいたが、やがて、覚明は牛の手綱を握って、
「兄弟子、そろそろ参ろうじゃないか」
「行こうか。――急に安心したせいか、すっかり、落着きこんでしもうた。牛は、わしが曳こう」
「いや、わしの方が馴れているぞ」
覚明は、もう先に歩いていた。
つづいて夜露に濡れて汚れた軌(わだち)が重たげに転(まわ)りだす。
そして、およそ三、四町ばかり元の道へ引っ回(かえ)して、並木の入口が彼方(あなた)に見えたかと思うころ、覚明は、足をとめて、空の音でも聞くような顔をした。