「どこかへ、体をぶつけやしまいな」
自分の膝に、姫の顔をのせて、琅かんのように透(す)きとおっているその面(おもて)と、呼吸をしていない紅梅のような唇元(くちもと)を見て、四郎はいった。
「手荒なことはしませんぜ」
手下どもは、首をあつめて、その顔を見入った。
そして仮死したままうごかない黛(まゆずみ)と、五(いつ)つ衣(ぎぬ)につつまれた高貴さとに、女性美の極致を見たように茫然と打たれながら、
「ウーム……なるほどすごい」
「気だかい」
「上品だ、やはり、氏(うじ)のよい女には、べつなものがあるなあ」四郎は、悦に入って、
「どうだ、俺の眼は」姫の額(ひたい)にかかっている黒髪のみだれをまさぐりながら、
「そこらの田に、水があるだろう、何か見つけて、掬(すく)ってこい」
「淀(よど)から舟に乗せてしまうまで、このまま、気を失っているままにしておいたほうがよかアありませんか、なまはんか、水をくれて、気がつくとまたヒイヒイとさわぎますぜ」
「しかし、淀まではだいぶある、その間に、これきりになってしまっちゃあ玉なしだ、いちど、泣かせてみたい、心配だからとにかく水をやってみろ」
「甘いなあ、親分は」
一人が水を掬(すく)いに行くと、そのあいだに四郎は、
「女に甘いのは、男の美点だ、女にあまいぐらいな人間でなくて何ができるか、男の意欲のうちで、いちばん大きなものが、他人(ひと)は知らず、俺は女だ。清盛にせよ、頼朝にせよ、もし女嫌いだったら天下を取ろうという気も起こさなかったろう。
その証拠には、あいつらが天下をとると、なによりもまっ先に振舞うのは、自分がほしいと思う女はすぐ手にかけることじゃないか、俺は無冠の将軍だ、天下の大名どものうえに坐ってみようたあ思わないかわりに、きっと、これと思う女は、手に入れてみせる」
そこへ、土器(かわらけ)の破片(かけら)に、水を掬ってきた男が、
「親分、水を」
「口を割ってふくませろ」
姫は微科にうめいて、星のような眸をみひらき、自分をとりまいている怖ろしい人間どもの顔を悪夢でも見ているように見まわしていた。
「生きている」
四郎がつぶやくと、手下どもが、どっと腹をかかえて笑った。
その声は雲間から吹き落ちた天ぴょうか魔のどよめきのように姫のうつつを驚かしたに違いない。
姫は、ひいっ――と魂の声をあげて、四郎の肩を突きのけて走りかけた。
「どこへ行くっ?」
四郎は、裳をつかんで、
「姫、もう諦(あきら)めなければいけない、落着いて、俺の話を聞け」
「誰ぞ、来て賜(た)も」
姫は、泣きふるえた。
黒髪は風に立って、姫の顔を、簾(すだれ)のようにつつんだ。
※「琅かん(ろうかん)」=真珠のような色つやをした玉。