皆つつましく唇をむすんでいた。
しかし、この無言はいたずらな空虚ではなかった。
誰も声は出さないが炉のまわりの者はこれで充分に語り合っているのである。
じっと、炉のなかの美しい焔(ほのお)に眼を落したまま――。
外には落葉の音がする。
冬の夜の訪れが、しきりと、禅房の戸をがたがた揺すぶってゆく。
「綽空どのは、頬のあたりがすこし肥えられた」蓮生房がつぶやくと、炉をかこんでいる心(しん)寂(じゃく)や、弁長や、念(ねん)阿(あ)や、禅(ぜん)勝(しょう)などの人々が、そっと彼の顔を見まもって、
「ほんとに」といい合った。
綽空は、うなずいて、
「ここにいて、肥えなければ嘘でしょう」
「初めて、お見かけした時は、痩せておられた」
「あのころの私は、形骸(けいがい)だけでしたから。――今はこうして炉に向っていても、魂までが、ほこほこ温(ぬく)もるのを感じてきます」
心寂が、まるくしていた背をのばして、
「誰にも、一度はそれがあったのだ――。わしなども」
恥かしそうに何か回顧する。
「そうそう」と念阿がそれを話した。
具(ぐ)菩(ぼ)提(だい)に心にもえていたころの心寂には、こういう俗縁や市塵の中にいては常に心が乱されて、ほんとの往生境(おうじょうきょう)には入り難い。
――こう彼は考えて、上人に、遁世(とんせい)を願った。
上人はゆるされた、心寂は草鞋(わらじ)をはく時、
(いずれ、再会は極楽で)といって、立ち去った。
それから彼は、河(かわ)内(ち)の讃(ここ)良(ら)に流れていた。
そこの奇特な長者の後家が、まことに信心のふかい善(ぜん)尼(に)なので、彼の望みをかなえてやろうと、林の中に、一つの草庵をつくり、食物はあげるから、思うさま念仏してお暮しなさいといった。
心寂は、
(ここぞ、わが菩(ぼ)提(だい)林(りん))と、鳥の音に心を澄まし、三昧(さんまい)に入っていたが、やがて、三年四年となるうちに、同門の人々はどうしたろうかとか、上人はご無事でおられるだろうかと、やたらに人間のことばかり考えられてきて、朝夕(ちょうせき)長者の住居から食べ物を運んでくれる小さい子供にまで話しかけてみたくなったり、雨ふるにつけ、風ふくにつけ、心は、かえって、世間にばかり囚(とら)われてしまって、まったく最初考えてきたような雑念なき俗縁なき清澄(せいちょう)な菩提(ぼだい)は求められなくなってしまった。
あわてて四年目に草鞋(わらじ)をはいてふたたび都の上人のもとへ帰ってきて、面目なげにその由をいうと、上人は、
(よい旅をなされた。学問があっても、智者でも、道心のない者には、その迷いは起らない。菩提へ一歩ちかづかれたのじゃから)
叱られるかと思いのほか、上人は随喜されたというのである。
「いや、そんな昔ばなしをされては、面目ない」
と、心寂は、友の話をうち消して笑った。