生れかわった一日ごとの新しい呼吸であった。
範宴は死んで、範宴は生れたのである。
法(ほう)然(ねん)は、ある時、
「これへ参られよ」
彼を、室(へや)へ招いていった。
「世上のうわさなどを、気に病むことはないが、とかくうるさい人々が、いつまでもおん身のなした過去の業をとらえて非難しているそうな。そしてまた、叡山(えいざん)の衆は、おん身が浄土門に入ったと聞いて恩義ある宗壇(しゅうだん)へ弓をひく者、師の僧正を裏切る者だなどと、さまざまに、誹(ひ)謗(ぼう)し、呪(じゅ)詛(そ)する声がたかいという」
「もとよりの覚悟でございます。ただ惧(おそ)れますことは、私の願いをおきき下さったために、この念仏門の平和をみだしては済まないと思うことです」
「心配をせぬがよい」
上人(しょうにん)は明るく笑って、
「おん身の非難の余波ぐらいで乱されるこの門であったら、億衆の中に立って、救世(ぐぜ)の樹(こ)陰(かげ)となる資格はない」
と、いった。
そして、
「しかしまた、世の風に、われから逆らうこともあるまい。おん身もこの際に、名を改めてはどうか。いくらかでも、人の思いも薄らごうし、また自身の生れかわった気持にも、意味がある」
「願うてもないことです。甘えて、お願い申しまする、なんぞ、私にふさわしいような名をお与え下さいまし」
上人は、唇をむすんだ。
しばらくして、
「綽(しゃっ)空(くう)」と力づよい声でいった。
綽空――彼は自分のすがたにぴったりした名だと思った。
「ありがとうございまする」
うれしげである。
綽空は、まったく変った、ここへ入室してからの彼は、他の法門の友と共に、朝夕(ちょうせき)禅房の掃除もするし、聴聞(ちょうもん)の信徒の世話もやくし、師の法然にも侍(かしず)いて、一沙(いちしゃ)弥(み)としての勤労に、毎日を明るく屈託(くったく)なく送っていた。
どこか、今までの彼の相(すがた)に、無碍(むげ)の円通(えんつう)が加わってきた、自由、明るさ、宏(ひろ)さである、一日ごとが、生きがいであった。
生きているよろこびであった。
法然は、綽空を愛した。
何かにつけ、道場の奥から、
「綽空」と呼ぶ声がもれる。
禅房の友だちたちには、熊谷(くまがい)蓮生房(れんしょうぼう)がいた。
空源がいた。
念(ねん)阿(あ)がいた。
湛(たん)空(くう)がいた。
安居院(あごい)の法印も時折にみえる。
そして綽空の更生を心からよろこんだ
一年はすぐ経った。
冬になるとこの吉水の人々は、夜の炉(ろ)ばたを囲んで、おのおのの過去や、教義のことについて、膝を交えて語るのが何よりも楽しそうであった。
*「円通(えんつう)」=円満無碍(むげ)の悟り。あまねく通じ、達していること。