親鸞 2015年5月1日

「いや、待ちたまえ」

一人が、頭を振った。

「上人は、ああして揺るがぬおすがたはしているが、なにもかも、ご存じあるにちがいない。なまなか、吾々が参って、顔に血をのぼせたりすることは、かえって、上人にご心配を加えるようなことになる」

「では、叡山のなすままに、吾々は、じっと自滅を待っているのか」

「そうもなるまい」

若い弟子たちは、なにかささやき合って、禅房の外へ出て行った。

そひて裏の森にかたまったのは、この不穏な空気を上人に感じさせて、さなきだに近ごろ健康のすぐれない法然に胸を傷(いた)ましめまいという師弟の思いやりからであった。

「どうする?」

そこで再び前(さき)の問題を評議に上(のぼ)せて、人々は、もう憚(はばか)るところのない声でいい合った。

「いったい、叡山の凡衆どもは、何を原因(もと)にして、この吉水を、そんなに敵視しているのか」

「知れているじゃないか、嫉(しっ)妬(と)――ただ嫉妬にすぎないのだ」

「人を救おうという者が。しかも、千年の伝統と、あの巨(おお)きな権力をもつ叡山が。――考えられないことだ」

「それは、人間の感情というものを外においてのことで、叡山の者にも、感情はあるから、近年の吉水と、自分たちの蟠踞(ばんきょ)している叡山と、どっちが社会に支持されているか、較(くら)べてみれば、おのずから焦々(いらいら)せずにはおられまい」

「卑屈だ」

「もちろん旧教の殻(から)に入っている僧侶などは、卑屈でなければ、ああしておられるものじゃない。――彼らはただ、伝来の待遇を無事にうけて、実社会からは、遊離しようと、なんであろうと、自分たちだけで威張っていたいのが願望なのだ。――そういうところへ、新しい教義を称えて、民衆をうごかす者が出てくることは、それだけでもすでに禁物なのだからな」

森の木洩(こも)れ陽が、若い弟子たちの黒い法(ほう)衣(え)の肩に斑をうごかしていた、ちらちらと風の戦(そよ)ぎに光るのだった。

「それさえあるのに」

――と他の者が次にいった。

「叡山には、一日ごとに、有力な檀(だん)徒(と)や碩学(せきがく)が、みな山を見捨てて去ってゆく。……今朝ほど上人からあんなに手痛いお叱りをうけた二尊院の湛(たん)空(くう)どのもその一人だ。弁長(べんちょう)、念阿、証空(しょうくう)、数えきれない人々が、叡山から吉水へ移ってきている」

「うム」眼がみなうなずき合う。

「中でも、安居院(あごい)の法印聖覚どの。西塔(さいとう)の名僧といわれた鐘(しょう)下(か)房(ぼう)の幸(こう)西(さい)法師。――それから、先ごろ、月輪殿のご息女を妻としてごうごうと喧(やかま)しい取沙汰の中に、毅然として、念仏門の行者の範を垂れている善信どの。――みな以前は叡山にいた方々で、後に、念仏門へ参られた人たちだ」

「なるほど、そう数えあげてみると、叡山が、嫉妬するのも無理ではないの」

前(さきの)関白(かんぱく)月(つきの)輪(わ)公(こう)が、まず第一に指を折られる。

次に、大(おお)炊(い)御(み)門(かど)左大臣、花(か)山院(ざんいん)兼(かね)雅(まさ)、野々宮左大臣、兵(ひょう)部(ぶ)卿基(きょうもと)親(ちか)など、殿上(てんじょう)の帰依(きえ)者(しゃ)だけをかぞえても、十指に余る。

武門の人々では。

熊谷(くまがい)直(なお)実(ざね)の蓮生(れんしょう)をはじめ、甘(あま)糟(かす)太郎忠綱、宇都(うつの)宮(みや)頼綱、上野(こうずけ)の御(ご)家(け)人(にん)小四郎隆義、武蔵の住人弥太(やた)郎(ろう)親(ちか)盛(もり)、園田成家(なりいえ)、津戸三郎為(ため)盛(もり)。

また、ことに女性(にょしょう)の檀徒はというと、今までの旧教の経典は、とかく女人(にょにん)を悪魔視していたが、念仏門には、女人のためにも、差別なく、救いの扉をひらかれたものとして、鎌倉の将軍家実(さね)朝(とも)の母の政子が、遥かに信仰をよせている他(ほか)、越前三位の妻小(こ)宰相(ざいしょう)、資(すけ)賢(かた)の娘玉(たま)琴(こと)、信実(のぶざね)の伯母(おば)人(びと)、三条の小川侍(じ)従(じゅう)の姫、花園准(じゅん)后(ごう)の侍女三河の局(つぼね)、伊豆の走り湯の妙真尼など、ここにも旧教に眺められない特色があった。