往生。
それは、往(ゆ)きて生きん、ということであるとここでは説くのだ。
安楽に眼をねむったり、寂滅(じゃくめつ)の終りを意味する言葉ではない。
――往きて生きん――往きて生きん――人生へのあくまで高い希望とつよい向上の欲求。
それを往生とはいうのである。
吉水の講堂では、きょうも厳粛のうちに和(なご)やかな半日が禅房のひさしに過ぎた。
講義をしている上人の声は、粛(しゅく)としている奥の方から表まで聞えてくるのだった。
あれが齢(よわい)もすでに七十を出ている老人の声だろうかと疑われるくらいであった。
しかし、その老人から先になって、この浄土門では、
(往きて生きん)の理想に専念しているのだ。
また、そのため、
(人間いかに生くべきか)の真理を求め探してやまないのであった。
上人はそれに対して、
(ただ念仏。一にも二にもただ念仏を)と、教えた。
ただ念仏のみが、最も前のふたつの人生の欲求を充(み)たしてくれるものだと説いた。
戸外(そと)の春も、一日ごとに、菁々(せいせい)と大地から萌(も)えていたが、この吉水の禅房も、若草のようだった。
新しく興り、新しく起ち、すべての旧態の殻(から)から出て、この人間の世に、大きな幸福の光(あか)燈(し)をかかげようとする青年のような意気が、七十をこえた法然上人にさえあった。
他の年の若い弟子には勿論、聖(しょう)覚法印(かくほういん)とか、蓮生(れんしょう)とか、分別ざかりの人々にも、なお、叡山(えいざん)をはじめ、ほかの歴史あり権威ある旧教の法城が、なんとなく、落莫(らくばく)としてふるわない傾向があるのに、それらの大法団から比べれば、隠者の一草庵にもすぎないこの吉水の禅房が、いつとなく時代の支持をうけ、精神社会の中心かのような形にあるのは、なんとしても不思議な現象といわなければならない。
だが、社会はその不思議を正視しようとはしなかった。
むしろ、畸(き)形(けい)なもの、邪(よこし)まなものとして、あくまで白眼視するのみか、その成長ぶりを見るに及んでは、
(これは捨ておけない)とにわかに、迫害を以て、この浄土門を今のうちに踏み潰(つぶ)してしまおうという形勢にさえあるのだった。
今日も――ようやく講堂のひさしに陽もうすずいて、上人の説法が了(おわ)り、一同が礼儀を終って、静かに席を散ろうとすると、それへ外から息をあえいで戻ってきた一人の弟子が、
「たいへんですぞ、おのおの」
眼のいろを変えて、自分を取り囲む人々へ話すのであった。
「慈(じ)円(えん)僧正が、とうとう天台座主(ざす)を退(ひ)かれて、叡山から降りてしまわれたという噂だ」
「え、座主をおやめなされたって?」
「罷(や)めたというよりは、いたたまれなくなって、ついに、自決なすったというほうがあたっているだろう。――何せい、慈円僧正がいなくなっては、いよいよ、これから吉水と叡山(えいざん)とは、うるさいことになろうぞ」
「上人のところへは、まだ、僧正からなんの御消息もないのかしら」
「あるまい、不意なことだ。――そして叡山では、またぞろ、今夜も何度目かの山門の僉議(せんぎ)をひらいて、本格的に、吾々の念仏門へ対して、闘争の備えを立てなおし、一方には、政治問題にして、念仏停(ちょう)止(じ)の請願を院へ向ってする企(くわだ)てだと聞いた」
「ふーム、それは容易ならぬことだ」
「吾々も、じっとばかりしていたのでは、ついには、彼らのために、せっかくここまで築いてきた念仏易(い)行(ぎょう)の門をめちゃめちゃにされてしまうかも知れぬ」
「上人は、どうお考えになっているのだろうか」
「まだ、何もご存じあるまいと思う。――ひとつ吾々が打ち連れて行って、お気持をうかがってみようではないか」
*「僉議(せんぎ)」=大人数でする討議。衆議。