私事ではありますが、最近コンタクトレンズを新調しました。
新しいコンタクトレンズは度数もばっちりで、非常に快適になりました。
私はソフトコンタクトレンズを使用しているのですが、基本的にはコンタクトレンズを購入するには医師の診察を受けなくてはなりません。
視力検査、目の硬さ、目の動きなどいろいろな検査がありますが、その中に涙の量を調べる検査があります。
これは、コンタクトレンズを使用する際、涙の量が少ないと使用できいことがあったりするのですが、幸いにも私の涙の量は多めで、問題はありませんでした。
私は最近、あまり涙を流すことがなくなってきたような気がします。
そう思いながらふと考えたのが、そういえば涙というのはどれくらいの重さなんだろうか、ということです。
『すずめの涙』という言葉がありますが、これは『ごくわずか』という意味だそうです。
でも、実際にはすずめは涙を流さないそうなので、
「小さな生き物であるすずめから出る涙は、ほんの少しだろう」
ということから、『ごくわずかなもの』ということを象徴的に意味している言葉なのかもしれません。
さて、この言葉からもわかるとおり、涙というのは
「重さはどれくらい?」
といわれても、実際にはどれくらいか計算したり測定することは難しいと思います。
しかし、涙というものは、思えば重さはわずかだとしても、その涙には簡単にははかり得ないほどの想いがあるような気が致します。
たとえわずかな重さであったとしても、そこには親の子に対する愛情や、恋人が相手を愛しく想う気持ち、大切な方への惜別の悲しみやせつなさからくる想いなど、様々な深く重い気持ちからでてくるのがこの涙だと思います。
私たちが頂いているお念仏の教え。
この『南無阿弥陀仏』の教えも涙と同じで、本当に深い慈悲の心がこめられているのだと思います。
南無阿弥陀仏は、重さ(質量)がないどころか、たった一言、ものの1秒で言えてしまう言葉です。
でもそのお念仏の言葉の中には、阿弥陀様の尊い心・はかりしれない慈悲があります。
そう思うと、私たちは
「本当に有難い慈悲の御手の中にいさせていただいているなぁ」
と、しみじみと感じることでした。
ふとしたことで、いろいろなことを考えさせていただけるものですね。
今日もお念仏の声の中に、尊い一日を過ごさせていただけたらと思うことです。