その年の十一月であった。
仙洞(せんとう)の後鳥羽院は、熊野詣でを仰せ出(いだ)されて、紀伊路へ行幸(みゆき)された。
降るか降らないかのような時雨(しぐれ)が道を濡らしていたが、鳳輦(みくるま)が御所を出るころには、冬陽(ふゆび)が射し、虹の立ちそうな美しい鹿島立ちになった。
洛内は、行幸を拝む人々で、どこもかしこも人の列であった。
若い娘、若い男たちは、
「一日でも、あんな鳳輦に侍(かしず)いてみたら」
と、雲上(うんじょう)の生活に、あこがれと諦(あきら)めをもって、自分たち庶民の宿命を、その後でさびしく眺め合った。
上皇が、お留守になると仙洞御所は、大きな空虚(うつろ)を抱いて、
「ああ、これで」
ほっとしたり、
「御用なしで、明日から、何をしたものか」
と、女官たちは四、五日すると退屈と淋しさを持てあました。
投扇興(とうせんきょう)、すごろく、和歌(うた)合せ、といったような遊戯にも、すぐ飽いてしまうし、誰や彼の、垣間見の男性たちのうわさも、ままにならない身がかえって苦しくなるだけで、恋をするには、盗賊以上の勇気がいる。
それでも、深夜になると、局(つぼね)のどこかに、男性のにおいがするのだった。
越えられそうもない高い塀の下に、男の沓(くつ)が落ちている朝もある。
はなはだしいことには、上皇のお留守を見込んでであろうが、どこの公達(きんだち)どもか、四、五人ほど党を組んで来て、局のうちから、眉目(みめ)のよい女官を攫(さら)って逃げ去ったという椿事(ちんじ)まであった。
けれど、不可思議なことには、攫われてゆく女性(にょしょう)のほうが、そういう場合に、決して、悲鳴をあげたり、大声で救いを呼ぼうともしないのである。
そして、いつのまにかまた、元の局にもどって、取り澄まして、その怖ろしさをも人に語ろうとはしない。
衛府(えふ)の小者たちは、そんな例を毎晩のように見かけるけれど、これも、大して異ともしない顔つきで、多くは見のがしていることが当り前になっていた。
「鈴虫様……。何を泣いていらっしゃるんですの」
独りがさびしくなると、松虫はきっと仲のよい鈴虫の局を訪ねるし、鈴虫が何か思いあまることがあると、松虫の局へ行って、姉のように、何事も打明けていた。
「…………」
今、ふとそこを訪ねると、鈴虫がただひとりで、燈火(ともしび)の下に俯伏(うつぶ)しているので、
「また、あの御老女に、何かきびしいことでもいわれたのですか」顔をさし覗(のぞ)くと、
「いいえ」
「そうでしょう、きっと、そうに違いない。ふだんの御寵愛がふかいだけに、こういう折こそと、事ごとに、辛く当たられる私たちです。私も、何度も、唇をかんでいるのです。わけて、あなたはおとなしいから」
「もう、そんなことなど、忍びもしますが、今日は、余りにひどいことを、皆(みんな)して、つけつけというばかりか、誰やら、戯(ざ)れ和歌(うた)にまで詠んで人を謗(そし)るので、口惜しくなってしまったのです」
「どうした理(わけ)です、それは」
「わたくしが、花山院の少将様と恋をしているというのではございませんか。誰の悪戯(いたずら)か、私の笄(こうがい)や小扇を、御所の墻(かき)の外へ捨てて、それが証拠だなどといい、少将様の恋文とやらを、御老女がひろったなどと……」
「まあ、人の悪い」
「今もさんざん、皆の前で」
「罵(ののし)られたのですか」
「それなら、云い訳もしますが、ただ針のようにちくちくいっては、私を笑い者にして弄(なぶ)るのです」