親鸞 2015年10月25日

時々、はっと、自分の居眠りに気づいて、四郎は赤い眼をあいた。

そして、さすがに少し間(ま)のわるい顔をしながら、まわりの聴衆を見まわした。

だが、聴衆は、水を打ったように静かな空気を守りつづけ、眼も、耳も全身をもって、法話の壇のほうへ向けていた。

一人として、そこに居眠っている四郎の様子などに気を散らしている者はない。

「ホ?……」

仏教の話などには、何の感興も持たないはずの四郎が、その時、やや眸をあらためて、前の者の肩越しに、壇のほうへ、大きな眼をみはった。

「善信だ……」

思わずつぶやいたので、そばの者が、ふと彼の顔を見た。

四郎は、下を向いた。

てれ隠しに顔を撫でる。

――聞くともなく、善信の声が耳へ流れこんでくる。

覚えのある声だ。

(しばらくぶりだな)と、思う。

壇の上に立って、岡崎の善信は今、低い音吐(おんと)のうちに何か力強いものを打ちこめて、諄々(じゅんじゅん)と、人々と、人々のたましいへ自己のたましいから言葉を吐いているのだった。

めっきり体が弱くなって、法然上人が人々へ顔を見せることができない日でも、

(オオ、善信様が)と、彼のすがたを仰ぐと、聴衆はそれだけでも満足するのだった。

随喜(ずいき)して、もう口のうちの念仏に素直な心を示すのだった。

その善信が、かなり長い時間にわたって、庭面(にわも)の暮れるのもわすれて、自己の信念を説き聞かせていると、人々は、いつか、涙をながして、

(おれは間違っていた)

(生き直ろう)

(もっとよく生きよう)

懺悔(ざんげ)の気持をいっぱいに持って、耳にも口にも眼にも、念仏の光のほか何ものもなく聞き入っているさまであった。

四郎は、腮(あご)へ手をやって、

「笑わせやがる」

と、肚のそこで嘲(あざ)んだ。

「――裏と表が見えねえから坊主は有難がられるのかと思っていたら、善信などは、坊主のくせに、女房を持ち、岡崎の庵室で、あの玉日とかいうきれいな女と、破戒の生活を大びらにやっているのに、それでもまだ、愚民どもは、有難がっていやがる。度し難い奴らだ」

彼は、むかむかしてきてそこに坐っていられない気がした。

ひとつ、ここから起ち上がって、

(みんな!眼をさませ)と、呶鳴ってやろうか。

そして善信が、いかに、破戒の堕落僧であるかを、おれが一席弁じ立ててやろうか。

そう思ったが、考えてみると、自分もあまり人中で大びらに顔を晒(さら)すことのできる人間ではない。

誰か、気がついて、

(天城四郎だ)

(大盗の四郎だ)

指さされたら、大変なことになる。

さっそく、自分から先に逃げ出さなければならない。

「ちいッ……いつまで同じことをいってるんだ」

彼は、うるさい意見でも聞くように、口のうちで舌打ちを鳴らし、

「わ、わ、あ――」

と、大きな欠伸(あくび)をかみころした。

※「随喜(ずいき)」=仏教で、よろこんで信仰すること。心からありがたく思うこと。

※「度し難い(どしがたい)」=道理がわからず、すくいがたい。ゆるせない。