『胎内記憶』という言葉を聞いたことありますか。

『胎内記憶』という言葉を聞いたことありますか。

私がこの言葉を初めて聞いたのは、大学の講義の時でした。

「全員ではないけれど、3歳頃までの子どもに、お母さんのお腹の中にいた時の記憶、生まれてくる時の記憶が残っている場合がある」というような内容だったと思います。

講義を受けながら、とても興味を持ちましたが、一方では「本当にそんな記憶が残っているのかな」と、半信半疑といった感じでした。

それから後、姉に子どもが生まれました。

だいぶお喋りが上手になってきた2歳頃に「本当に、お腹の中にいた時の記憶があるのかな」と思って、尋ねてみました。

「お母さんのお腹の中にいた時のこと、覚えている」と聞くと、

「ふわふわして温かくて気持ちよかった」と。

「何色が見えていたの」と聞くと、

「オレンジ」という答えが返ってきたので、とてもびっくりしました。

驚くと同時に「今ここでこうして出会う前にお腹の中で、一人で過ごしていた時から、ずっといろんなことを感じたり、見たり、聞いたりしながら大きくなったんだな」と思うと、とても感動しました。

その甥が小学校にあがる頃、改めて「お腹の中にいた時のこと、覚えている」と聞くと、今度は「覚えてないね」という答えが返ってきました。

「2歳の時には、こんなことを言っていたんだよ…」と、お腹の中にいた時のことを話してくれたと教えると、「え…、そんなこと言っていたの」と言って、きょとんとしていました。

成長と引き換えに忘れていくお腹の中の記憶を、まだ本人が忘れないでいるうちに聞いておくことができて、「良かった」と思いました。

そして、忘れてしまった本人にも、また伝えることができて良かったです。

先日、友人と話をした時、この「お腹の中にいた時の記憶」が話題になりました。

友人の家は双子が生まれたのですが、その双子もお腹の中にいた時のことを話していたそうです。

もう生まれるという時にお腹の中で、後から生まれてきた妹が、先に生まれようとする姉に『「一人になると寂しいから行かないで」って、手をぐーっと伸ばしてつかまえようとしたんだけど、先に行ってしまったの』

という話をしていたのだそうです。

本当の話なのか、作り話なのかということはさておいて、一人一人がお腹の中でどんな思いをしていたのか、どんな記憶を持っているのか、ますます聞いてみたくなりました。

今は、お腹の中にいた時の記憶は全く残っていない私ですが、私も幼い時に、お腹の中で過ごしていた時の記憶があった時期があったのかな…と思うことです。

私たちの記憶は、幼い頃については日常のできごとが大半で、あとは「〜が大変だった」「給食の〜が苦手だった」「お昼寝の時間が嫌いだった」といったような記憶は残っています。

そこで、いくつになっても友だち同士集まると、そういったことがよく話題になります。

でも、消えていった記憶の中にもいろんなできごとや、ご縁のあった人がいたのだと思います。

楽しかったことや悲しかったこと、あんなことやこんなことで笑ったり泣いたりしながら積み重ねてきた時間、そしてお世話をして下さった方、支えて下さった方、そういったできごとや人びとが今日までのご縁となって私は今ここにこうして生きているのだと思います。

また、仏さまの教えを聞くと、私はお腹の中にいた時から今日までずっと、仏さまに願われ続けているのだということに気づかされます。

未だに気付いていないこと、見えていないこと、聞こえていないことがたくさんある私ですが、今頂いているご縁の一つ一つを大切にしながら、このいのちを懸命に生きて行きたいと思います。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。