鹿ケ谷の法勝寺(ほっしょうじ)は、月に幾日かは、必ず法話や専修念仏の衆会(しゅうえ)が催されるのに、この十一月(しもつき)から師走(しわす)になってからは、
(住蓮が病気のために)といって、一回もそれがなかった。
誰も、それを怪しみはしなかった。
むしろ常々ここへ詣でる人々は、
(こういう薬は)とか、
(手製(てづく)りの甘い物を)とかいって、何か見舞を携えてきて、病人に上げてくれと置いて行った。
その度に、
「住蓮……」
「安楽房……」
二人は、顔を見あわせて、自責にたえない眉を見合った。
「ああいう善良な人たちを、わしとお身は、あざむいているのだ。
――仮病とは知らない信者たちは、見ていると、一刻もはやく御病気が癒えますようにと、御本堂で祈念をこめて帰って行きなさる。
――あれを見ていると、たまらないほど苦しい」安楽房は、重い息をついて、山荘の奥でうつ向いた。
沈黙していると、二人の胸には、今さら、悔いがのぼってきた。
――あの松虫の局(つぼね)と鈴虫の局さえここに匿(かくま)わなければと。
だが、一日ましに、事情が苦しくなるほど、一日ましに、二人は、あの匿い人をふり捨てる気になれなかった。
「おれたちは、邪道に落ちているぞ――」
と、ある時は、住蓮が告白した。
「なぜ」
「ようく自分の胸に手を当てて考えてみることだ、いつの間にか、お身のことは知らないが、わしは鈴虫の局に恋をしているらしい。……鈴虫の局の眼がものをいう。すると、自分にあらぬ血が奏で初めるのだ」
「それは、おぬしばかりじゃない。実をいえば、わしもだ。わしも何か、そういう自分の気持に気づいていないことはないが」
「やはり、女人をここへ入れたのは、わしらの誤りだった。御仏の旨にちがっていた」
「いや、御仏がではない――つまり自分たちの修行が未熟なためだ女人を魔視し、女人を避けることを教えているのは、旧教だ、聖道門だ、それではならぬと法然上人も仰せられたことだし、善信御房のごときは、身をもって、あの通り示されている。――しかも、善信御房の信心は、誰が見ても、玉日さまを妻となされてからの方が、確固として、頼もしげに見えているではないか」
「だから吾々も、女人に対して、もっと近づいていいと仰せられるか」
「だめだ、こんな心では」
自分の未熟を無念がるように、安楽房はそういってもだえた。
「おれなどは、とても善信御房のように、そこからすぐ安心をつかむことはできそうもない」
「では、どうしたものじゃ。……このままあのお二人をここに置けば、自分の信仰がくずれてしまうか、そうならぬ間に、厳しい詮議(せんぎ)の者の眼に見つかってしまうのは知れたことだが……」
「お気の毒だが、出てもらおう、この山荘を」
「えっ、追い出すのか」
「そうではない、どこか他(ほか)のまったく人の気づかぬ所へ、そっと、夜陰にでも、移っていただくのだ」