めったに開けたこともないような一軒家である。
廂(ひさし)や戸は朽ちているし、床に敷いてある物も黴(かび)のにおいで蒸れていた。
ある堂守が住んでいた後に、住蓮と安楽房がしばらくここに生活(くら)していたことがあるので、貧しい炊(かし)ぎの道具や灯りをともす器具などはあった。
「ここならば、しばらくの間は、世間の眼にもふれずにおられよう」
木を拾ってきて、二人は火を焚いた。
明日はまた、隙を見て、寝具なども法勝寺の庵(いおり)から運んで来ようと慰めるのであった。
松虫と鈴虫は、この二人の親切に、ただ涙が流れてならなかった。
そして、御所の絢(けんらん)爛な襖やあつい綿を思っても、少しも悔いを感じなかった。
美食や、脂粉や、絹のものや音曲や、そういう雰囲気の生活よりも、ここにある真実こそ人間の生活だと思った。
――ただ彼女たちはまだ自分たちの装いが、俗のままにあることがともすると意志を弱めているようでならない。
もっと、今の感激をつきつめて、髪を剃(おろ)し、袖も裳(もすそ)も、断ちきって、清楚な尼のすがたになりきってしまいたい念だけがあった。
「おねがいです」
「どんなお誓いでも立まする……」
そこへ来てからも、彼女たちは掌(て)をあわさないばかりに縋(すが)った。
安楽房と、住蓮は、ついにそれを拒みきれなかった。
――というよりも自分たちの若い情熱と信仰に多分な危うさを覚えだしていたので、
(そのほうがいい)と思った。
おそらくまた、鈴虫と松虫のほうにも、同じような怖い動揺が血の中にあったであろう。
お互いが若いのだ、そして極めて危ない火と火を持ち合っているのだ。
もしその薄紙にひとしい一線を越えたがさいご、もうふたたび今の安心と信念はあるわけに行かないのである。
それには、彼女たちの黒髪を剃すことは、どっちに取っても、絶対な誓いであり、反省の姿を持つことになる。
「では、明日にも」
と、二人はいったん山を降りて法勝寺へ帰った。
そして、改めてまた登ってきた。
麗しい尼が二人できた。
安楽房は、松虫の黒髪を。
――住蓮は鈴虫の黒髪を、ひとりずつ、剃刀をとって、得度をさずけた。
「ああ……」
住蓮は、裏へ飛び出して、ややしばらく入って来なかった。
安楽房も、この麗しい若尼のすがたを正視しているにたえなかった。
しかも、相抱いて、寒々と、うれし泣きに泣いているふたりのすがたを見ては、――それをもうれしいほどな彼女たちの過去の生活であったかと思った。
「御仏の道に生きまする」
「信仰に生きまする」
そういって、彼女たちはもう、次の日から、柴を拾って、貧しい炊(かし)ぎをしていた。
いつ行っても、ただ一体の仏陀を壇において、その前で、念仏をとなえていた。
住蓮と安楽房とは、交(かわ)る交(がわ)るそこへ彼女たちの不便な物を運んでやっていた。
――すると、何時とはなく、こう二人の者の行動を知って、
(はてな?どこへ行くのか……)と、眼をつけていた者がある。
吉水禅房や、岡崎を初め、あらゆる念仏門系の法壇のある所を、所きらわず歩きまわって、狩犬のような鼻を働かせていた播磨房弁円であった。