「ごもっともです」
臣下として、玄蕃はそういうほかなかった。
「しかし殿……すでに鎌倉の右府もおかくれ遊ばした今日、今さら事新しゅう、亡き将軍家のおことばを取り立てて……」
「いうて悪いか」
「怖れながら、潔白な御心事を、天下の俗衆が、誤解することを、玄蕃は怖れまする」
「いうな、わしは、まだ頼朝が在世のうちから、このことは申していたのだ。
――(天下を取ったら日本半国二つにして佐々木兄弟に取らせる)と申したあの一言を、旗差物(はたさしもの)へ書いて、鎌倉へ登ろうと幾度がいっていた、その度ごとに、汝を初め、老臣どもが、とやかく申して遮ったために、千載の機を逸して、いつまでも高綱の胸中に、鬱々とこの不快なものを抱かせているのではないか」
「お家のためを存ずればこそでござります。不肖も老臣衆も」
「なに、これが」
「殿のご不平は、小者の端にいたるまで、よっく胆に銘じてはおりますなれば」
「玄蕃玄蕃。
――分った面がまえせずとわしの胸中をよく聞け。わしは今、中国は七州の太守だ、何の不自由もなし、近江源氏の末として恥かしい身分でもない。
……だがの、宇治川の晴れ場で、梶原太の先駈けしたこの四郎高綱が、武門には長(た)けて、長けて、智恵は浅い男よと、末代まで笑い者にされては口惜しい。
――頼朝めの肚(はら)をいえば、自分が天下の権を握ったからには、高綱に不平があろうと、約束を反故にしようと、手出しはなるまいと、この佐々木家を見縊(くび)ッてそらうそぶいたのだ。何と、気色のよくないことか。
――たとえ頼朝、実朝の亡い後でも、この名分は明らかにせねばならぬ。大将の嘘が、かくのごとく堂々と通っては、戦場においての武士(もののふ)の信義は地に堕ちてしまうわ。
――武門のためわしは主張するのだ」
「今日まで、お怺(こら)え遊ばしたものを、何でまた、俄かにさまで仰せあるか。玄蕃も、この儀には、ほとほと困(こう)じ果てました」
「わしばかりではない、命を槍先にかざして働いた多くの大名、武士たちの末路を見ろ!泰平の後は皆、片田舎の荒れ地へ追いやられ、ただ口先の弁巧で、ぬらりくらり身を這いあげた諂(へつら)い者が、廟(びょう)に立ち、政治を私しているのではないか。
――近くは兄の盛綱は何の科(とが)があってか、所領を没収されているではないか。
――やがてはその手がわしへ来ることは見え透いておる。こうしているのは自滅を待っているにひとしい」
「さような事のある場合は、殿のおことばを待つまでもなく、われら臣下が、四ツ目の御旗を陣前に押し立て、北条、梶原の輩(ともがら)を一挙に懲らしめてくれますれば」
「それでは遅い、後手だわ」
「では、どう遊ばします」
「こなたから、不意に軍勢をのばすのじゃ、彼奴(かやつ)の虚を突くのだ」
「かえってそれこそ、鎌倉方の策にのるものです、反逆の軍と呼ばれましょう」
「な、なに」
と、四郎高綱は、面に朱をそそいでいった。
「盟約を正す軍(いくさ)を反逆というか!」
「たとえ、君命にござりましてもさような不利な軍は」
「よし、老臣どもの手はからぬ、陣ぶれの状を廻せ!」
「殿っ――」
と玄蕃は涙をたたえて、
「泰平をよろこぶ民を憐れみ遊ばせ。――軍は私憤をもってするものではございませぬ。……ご賢慮を」
と、袖にすがって諫言しているところへ、小侍が、一個の文筥(ふばこ)を捧げてきて、
「御状でございます」
と、そこへ差し置いた。
ふと見ると――
北越小丸山配所中
沙門西仏
と差出人の名が目についた。
*「ぬらりくらり」=ぬらぬらとしてとらえどころのないさま。