「――沙門西仏、沙門西仏、はてのう――どうも覚えのない名じゃが」
四郎高綱はつぶやいた。
手にとった書面の名に、酔眼をぼうとみはって、小首をかしげているていであったが、やがて封を切ってみると、中の書状には、太夫房覚明という別名が記してあった。
「なんじゃ、あの覚明か」
大きく笑ったのは何か懐かしい者を思い出したものであろう、玄蕃のほうとちらと見てこういった。
「そのむかし木曾殿の手についておった荒法師じゃ。今では西仏と名を変えて北越におるものとみえる。……何を思い出して書面をよこしたか」
杯を片手に、気懶(けだる)い体を脇息(きょうそく)にもたせかけながら高綱はそれを読んでいた。
初めは、昔なつかしい戦場の友を偲んで、微笑をたたえてこれに向っていたが、ふと、苦いものでも噛みつぶしたように唇をむすんでしまうと、同じ所を何遍もくりかえしつつ、
「ウーム……」
と、心を抉(えぐ)られたように呻いているのであった。
さっと酔のひいた眉には、深い苦悶と自省の皴が彫り込まれていた。
引き裂いて嘲笑ってしまおうとする気持と、そうできない本心の重圧とが、ややしばらく彼の顔いろの中に闘っていた。
残水の小魚(ざんすいのしょうぎょ)
食を貪って(しょくをむさぼって)
時に渇くを知らず(ときにかわくをしらず)
糞中の穢虫(ふんちゅうのえちゅう)
居を争って(きょをあらそって)
外の清きを知らず(そとのきよきをしらず)
達筆にかいてある西仏の手がみの中には、そういう文句などもあった。
高綱は幾度も、その一章をくりかえしては見入っていた。
「――残水の小魚、糞中の穢虫とは――心憎くも喩えおったな。忌々しい奴、北越でもこの高綱のうわさは伝えられているものみえる」
睨むように天井を仰いだ。
その顔にはもう酒の気はなかった。
充血していた眼には涙があふれかけていた。
「……だが、違いない!西仏に喝破されたとおり、思えばこの高綱も糞中の穢虫、世の中にうごめく蛆(うじ)のなかにもがいたこの身もまた蛆であった。……ああつまらぬ物に、永いあいだ業を煮やしたものよ」
卒然と彼は身ぶるいした。
涙のすじが頬を下って止めどなかった。
「――蛆、蛆、蛆。……ああ外の清きを知らぬ蛆」
ふいと、彼は起ち上がった。
――玄蕃や近習が呆ッ気(あっけ)にとられている間にである。
つつつと、奥の一室へかくれてしまった。
そのまま――誰も彼の居室へ近づくことを許されなかった。
四郎高綱は、およそ四日ほどの間、ほとんど、そこから出なかった。
めずらしくも、そこには酒杯(さかずき)を絶った高綱の寂然たる瞑想のすがたがあったのである。
――しかし、六日目の朝には、そのすがたもついに城内には見えなかった。
城主の失踪!備前児島の城は、一時、城下城内ともに、覆るような騒ぎであった。
――四郎高綱の消息はそれきり分らなくなってしまったのである。
――だがやがて、一ヵ月ほど経って、誰からともなくこういう噂が備前をはじめ中国へ伝わってきた。
(さすがは近江源三秀義の子四郎高綱ほどあって、怒りもするが思い切ったあきらめもする。頼朝の不信は責めたが、卒然と何か悟って、中国七州を弊履(へいり)のごとく捨ててしまい、先ごろから高野へ入って出家しているそうじゃ……。何といさぎよい、侍らしいやり口ではないか)――と。