親鸞 蛆(うじ) 2016年6月10日

南海の潮は鯖の背のようにぎらぎら青かった。

――時はまだ夏の初めだった。

備前児島の城の本丸。

城主の佐々木四郎高綱は、兄の盛綱よりも武者としては勇武があった、髪もまだ白くはない、骨ぶしもまだ強弓を引くに耐える、それだけに満ち溢るる覇気もあった。

その覇気へ、彼は、大杯で酒をそそいでいるのだった。

彼の血潮と酒とは、燃え合うと、多分な危険のあるものだった。

それは家臣もはらはらしていることであったが、主君のことなので、どうにもならないのである。

「聞けっ、玄蕃(げんば)」

語気に癇癖がほとばしっている。

こういう癇癖は、戦いがあれば戦場で散じてしまうだろうが、もう世の中は泰平だった。

「はっ……うかがっております」

と、重臣の朝倉玄蕃は、この殿のこころの底を十分に知っているだけに――またその良い性格の半面もわかっているだけに――ただ涙ぐましくて、困惑に暗くなるのだった。

「わしはの……」

と高綱は唇の乾きを舐めずりしていう。

「……わしはの玄蕃、ただ理由なく欲望を募らせていうのじゃないぞ。天下の将軍家たるものが、そういう態度であっていいものか――、また、武門のことばの誓いというものが、そんな不信なものでいいか、正義のためにいうのだ」

「わかっております。――殿のお気持は、玄蕃めも充分に」

「わかっているなら、なぜ意見などするか。――よう昔を考えてみろ、わしのいい条が無理か否か」

「は」

「そもそも――石橋山の合戦だ。あの時わしは、兄三郎盛綱とともに、まだ二十歳(はたち)にも足らぬ生若い頼朝を助けに馳せ参じた。あの旗挙げの第一戦に頼朝はさんざんにやぶれ、石橋山から土肥(とい)の杉山へと落ちのびた。付き従う郎党とても指折るほどじゃった。この小冠者を大将にかついでも、大事はならぬと見限(みき)りをつけ、生命からがら逃げたのが多い。

――彼は孤立した。ほとんど自刃するほかなかったのだ。

――そこへこの四郎高綱、三郎盛綱、二人の兄弟が千予騎をひきつれてご加勢に駈けつけた時、頼朝は、わしら二人の兄弟に何といったか!」

「……殿、もう仰せられますな、そのことは、天下の誰もよく知っていることでございます、余りにも有名なお話です。殿が仰せなくとも」

「だまれ。わしがいわんで誰がいうか。北条や梶原のおべッか者や、またその権力に怯(お)じ怖れている小心者の大名輩(だいみょうばら)に、どうして、これがいえるか。

――あの時の小冠者頼朝が、わしら兄弟の手を取って、加勢を欣んだ顔つきは、今に眼に見えておるわ。

そして頼朝はこういったのだぞ――(もしもこの身が天下を取ったあかつきには日本半国は二つにして、兄弟の者に取らせる)と……。玄蕃」

「はっ」

「どこにこの誓言が行われたか。――わしは今もって、この中国七州しか持たぬ。」

「しかし……殿」

「口返しするか。――そちは頼朝の肩持ちか。高綱のことばは偽りだと思うか。弓矢八幡も照覧、北条時政もその他も、確かに側で聞いていたことだ。

……だが、頼朝が天下を取ってからは、あのおべッか者は、一人としておくびにもさようなことはいい出さぬ。狡獪(こうかい)な頼朝は口を拭いて、知らぬ顔にこの言葉を葬ろうとしている――。

いやそのうちに頼朝めは死んでしもうた。しかし、彼は死んでも、天下の公約は死んでないはずじゃ。

――そうではないか、玄蕃」