今年の5月、わたくしのお預かりさせていただいておりますお寺の、あるご門徒さまが書かれた寄稿文が「南日本新聞」朝刊『ひろば欄』に掲載されました。
過疎化の激しい村においてお店を経営されている思い、また過疎寺院である私共のお寺、そのお寺の住職である私の事、そこにはその方の思いが書かれていました。
当日、私は新聞を読まずに外出いたしましたので、その事を人から聞くまで知らなかったのですが、行く先々でいろいろな人に声をかけらたり、電話やメールが来たりと、改めて新聞の影響力の大きさを知らされました。
また数日後、かつて村の駐在所に勤めておられた方が、その新聞記事と手紙を、東京の小学校で教師をされている息子さんに宛てられ、その手紙を読んだ息子さんが、少年時代を数年過ごした村を懐かしく振り返りながら、過疎問題に対する思いを、同じく「南日本新聞・ひろば欄」に寄稿されていました。
彼が教え子である東京の児童に「過疎・少子化問題」をテーマに、5月に載せられた「南日本新聞」朝刊『ひろば欄』を題材にして授業をしたという事が書かれていました。
その授業の中で逆に子ども達から、
「先生が鹿児島から東京に出て来たのも過疎の原因になるのでは?」
とのするどい指摘を受けたそうです。
その後、この一連の出来事はテレビでも紹介されたりと、思いがけないつながりと展開をみせました。
一人の人の思いが、新聞という媒体を通して多くの人の共感をよび、郷愁をも起こさせて、やがて大都会の子ども達から温かみのあるオチまでつけてもらいました。