小説 親鸞・紅玉篇 2月(6)

厩牢からの喚き声に、

「なぜ騒ぐかっ」

箭四郎がまず駈けだしてきて、曲者を叱った。

何事かと、範綱も、奥から姿をあらわした。

曲者は、牢格子にすがって、

「お館へ、申し上げたいのでござる。

今日までは、骨を砕かれ、肉をやぶられても、この口は開くまいと、心を夜叉には、固く誓っておりましたが、十八公麿様のやさしさに、あわれこの夜叉も、弱い人間の親に立ち回えりました。

いわずにはおれぬ気持が急なのでござる。

お聞きとり下さい。

それがしの自白を――」

と、叫ぶのだった。

その声には真実がある。

その顔には、涙がながれている。

範綱はいった。

「箭四、牢から出してやれ」

「えっ、出しても仔細はございませぬか」

「縄も解いてやれ」

箭四郎は、いわれる通りにした。

縄を解くのだけは不安な気もしたが、曲者は神妙だった。

範綱の足もとに両手をついたまま、しばらく、男泣きに泣いているのであった。

わけをただすと、曲者は、十八公麿のやさしい童心に対して、醜悪な自己の姿がたまらないほど恥かしくなったのだという。

奉公のためとはいえ、呪詛と虚偽の仮面をかぶって、牢獄につながれている自分の浅ましい姿も恥かしいし、また、家にのこしてある妻子に対する思慕にも耐えられなくなったというのである。

「もう何をかくしましょう、わたくしは小松殿の御内人です。

成田兵衛の郎党で庄司七郎という者です。

先年はまだ和子様が日野の里においでのころ、無礼を働いたこともあるので、うすうす、和子様のお顔は存じ上げておりました」

「ではやはり、蔵人殿のご推察どおり、六波羅方の諜(まわ)し者じゃな」

「いかにも」

と七郎は、きっぱりといった。

「新院大納言が、相国に不満をいだいて、何やら密謀のあるらしい気配、とく、それがしの主人成田兵衛が感づいて、あの衆の後を尾行(つけ)よというおいいつけなのです。

すでに、小松殿も、それをお気づきある以上、もはや、事を挙げても、成就せぬことは、火をみるよりも、瞭(あきら)かです。

決して、お館には、さような暴挙にご加担なされぬように……。

申しあげたいといったのは、その一事です」

「ほう、それでは、すでに小松殿を初め六波羅では、新大納言の策謀を感づいておられるのか」

「一兵なりと動かしたらばと、手(て)具(ぐ)脛(すね)ひいて、待ちかまえているのです」

範綱は心の裡で、

(あぶない!)と、思わず大息につぶやいた。

さしあたって不安になるのは、法皇のおん身であった。

あれほど、仰せられたことであるから、新大納言一味の策(て)にのせられることは万あるまいとは思うが。

(もしかして?……)という気もしないではなかった。

「よう教えてくれた。

――箭四郎、この曲者を、裏門から放してつかわせ」

範綱は、そういいすてて、あわただしく自分の室へかくれた。