私の趣味は旅です。
大きなバッグを背負ってあてもなく旅に出ることが好きです。
年に一回は、周りに無理を言って1カ月ほどの休みをもらい旅に出ます。
色々な国を回って見せてもらったのは、「宗教者の格好よさ」です。
日本人はよく「無宗教」と言われますが、海外の大半の人びとは無宗教ではなく、しっかりと自分の宗教を持っており、互いを尊重し合いながら、自分の信仰に誇りを持って生きています。
ケニアでこんなことがありました。
サファリに行こうと思い、現地ツアーに申込みました。
参加者はアメリカ、デンマーク、ケニア、インド、中国、オランダの方々と日本人の私でした。
このメンバーで、4日間寝食を共にしながらサファリを旅します。
メンバーの年齢は、20代から40代でした。
海外の方は若くても政治や社会問題に興味を持っていることが多く、お酒を飲みながら話していると、そういったことも話題になります。
その流れの中で宗教の話になり、一人一人自分の信仰している宗教について述べることになりました。
キリスト教やイスラム教、ヒンドゥー教に仏教、様々な宗教の名前が挙がりました。
けれども、宗教が違っても、それで仲が悪くなったり言い合ったりすることはありません。
「そうか。そうか」と尊重し合いながら聞いていくといった穏やかな雰囲気です。
最後に、中国の方が「無宗教です」と言った途端、それまでの空気が一変して冷ややかな空気が流れました。
外国では、「無宗教」という人に対して、その人を「信用してもいいのだろうか?」とか、その人と関わって「大丈夫だろうか?」という印象を持つ人も少なくないように思います。
生活と宗教は密接です。
ボリビアで病院へ行ったときに書いた問診票には、名前を書く欄の次に宗教を書くスペースがありました。
また、アフリカでトラブルに巻き込まれて申請したポリスレポートにも、同じように名前の次に宗教を記入する欄がありました。
日本では、病院や警察で宗教は聞かれることはありませんので、その時は少し戸惑いました。
街中では、イスラム教徒の人たちが行き交う道のど真ん中で礼拝をしています。
週末は、子どもたちが楽しそうに教会に集まり、大きな声で楽しそうにゴスペルを歌っています。
私は旅先で宗教施設を見つけたら、何教の施設であっても、お参りさせてもらいます。
観光客がいっぱい来るような大きな宗教施設から、田舎の誰も来ないようなところにあるトタンで作られた宗教施設まで、その姿は様々です。
ただし、どこの施設に入っても外の空気より3度ほど気温が低いような、何となく凛とした冷たい空気が漂っています。
また、どこからともなく信者さんが訪れ、時間をかけて深々と頭を下げて行きます。
小さい子どもからお年寄りまでです。
私はいつの頃か、信者さんが真っ直ぐに信仰対象に向けて頭を下げる姿に、純粋に「格好いい」と感じるようになっていました。
「宗教者って、格好いいのだな」と感じたことで、そこから私の僧侶としての生き方が大きく変わったように思います。