ご講師:佐々木久子 さん(エッセイスト)
私たちは、生きていく上で三つの坂を上がったり下りたりしなければなりません。
一つは上り坂です。
これは、目的をもって上るのですから、比較的懸命に上ることができるんです。
ところが登りきったらおりていかなければならない。
上り坂というのは、だいたい百二十くらいのエネルギーがいるんですが、下り始めたら、これが大変なんです。
どこまで下ったらいいのかわからない。
ある程度の年齢になりますと、下りるのが辛いんですね。
会談は上れるけど、今度は下りるのが大変。
それはどうしてかと言いますと、下るのには百八十くらいのエネルギーがいるからなんです。
日本の場合は、上りきって今は下り坂です。
でも、下り坂はどこまで下りたらいいのかわからない。
みんなヨタヨタしながら、あえぎあえぎ下っていきます。
やっと下りきった、やれやれこれで大丈夫かなあと思ったら、今度はそこに「まさか」という坂があるわけです。
この「まさか」という坂はだれも予測していないから、どういう坂なのかわかりません。
私もこの間「まさか」という坂に立ちまして、本当にどうしようかと思いました。
私はずっと妹と暮らしてきました。
妹は、本願寺さん系統のガールスカウトの団長をしておりまして、滋賀県の山の中でジャンボリーがありました。
最後の夜の会議中に気分が悪くなり、会議室から出たとたんに吐いて倒れたんです。
「五分間休むわ」と言っていたのが、十分経っても帰ってこないので、心配してくださった方たちが出てみたら、妹はそこに倒れていたんです。
救急車で近江八幡の私立病院に運ばれて、いろいろと検査してもらったら、くも膜下出血だったんです。
本人はちょっと意識がありまして「東京に帰りたい」と言ったんですが、東京に帰る間に全部破裂すると言われてやめました。
私はちょうどそのとき岩手県の盛岡市におりまして、最終の新幹線で帰ってきましたから、家に電話がかかってきても、全く連絡がつかなかったんです。
結局妹の息子のところに電話があって、朝一番で新幹線に乗って行ってくれました。
なにしろ印鑑を押さないと手術ができないんです。
印鑑を押して手術をしてもらいました。
八時間かかるという手術は五時間半で終わりました。
しかし東京と志賀を通うと言ったって容易ではありません。
三時間かけて行かなければなりませんし、泊まらなければなりません。
情けない話ではありますが、私は金庫の開け方も知らないんですよ。
印鑑もどれがどれなのかわからない。
ですから大変困ってしまいました。
言ってみれば突然ご主人が亡くなられたような感じです。
あるいは奥さんが亡くなられたような感じです。
ですから、何をどうしたらいいのかわからない。
やっとの思いで一カ月経ちまして、妹も東京の病院に移ることができました。
この「まさか」という坂は、ポカッと口を開けて待っているわけです。
ですから、いつどうなってもいいと思って覚悟して生きませんと、これは大変ですよね。