「いのちのバトンタッチ」~映画「おくりびと」によせて(後期)映画「おくりびと」の制作と公開

それからしばらくして本屋に行ったら、一冊の本が目にとまりました。

表紙に本木君が寝転がって黒い本を持っている姿が写っている雑誌でした。

そして、その黒い本は私の『納棺夫日記』の初版本でした。

しかも副題に「映画化を切望します」と書いてあったのです。

本木君の熱い思いと行動もあり、それから7~8年経った頃、『納棺夫日記制作委員会』というのが設立されました。

そして小山薫堂という人の書いた脚本が、私のところに最初に届きました。

読み始めてすぐがっかりしました。

私の『納棺夫日記』の書き出しというのは、「今朝、立山に雪が来た」です。

小説でもなかでもこの一行目が大事です。

「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」。

これは川端康成の有名な「雪国」の書き出しですが、一行読んだだけでイメージがわくのがいいのです。

ところが、シナリオでは山の名前が鳥海山になっていました。

私は制作委員会に手紙を出しました。

気になる箇所を10カ所ほど書いて送りました。

すると「どこも一切直すわけにはいきません」という冷たい返事が返ってきました。

交渉のためにプロデューサーが私を訪ねて富山まで来ましたが、私がいくら述べても理解してもらえず、平行線のままでした。

さらに本木君自身がやって来ました。

飲み屋に連れて行ったのですが、彼は飲まずに、ずっと正座していました。

「どうしてですか。どうして原作者を降りられるのですか」

など言いながら、『坂の上の雲』の秋山実之みたいな顔をして正座を続けていました。

それを見ていたら「もうどうでもいい」という気になってきました。

私は酔っぱらうとダメなのです。

そして

「シナリオ通りにお作りなさい。ただ、題名は変えてほしい。それと原作者から私の名前は外してほしい」と彼に言いました。

すると近づいてきて、

「この映画の主人公になるために何が大事でしょうか」

と尋ねてきたので

「服装が大事だね、それと現場が大事だね」

と言いました。

服装に関しては、映画の中では白い服の上にチョッキを着ていました。

それと「現場って何ですか」と聞いてきたので、

「死の現場というのは悲しみとか怒りとかホルマリンの匂いとか、線香の匂いとかいろんなものが入り混じり、ピンと張りつめた独特の雰囲気がある。それは現場に行かないとわかりませんよ」

と彼に言いました。

この後、彼は札幌と酒田(山形県)の葬儀社の助手を5回程体験し、撮影に臨んだと聞きました。

彼は非常に真面目で、真摯に役作りに取り組む俳優でした。

およそ1年後に完成試写会の案内の手紙が来ましたので、私は東京まで見に行きました。

帰ろうとしたとき、本木君が近づいてきて感想を尋ねられたので

「本木さん、いい映画になったね。俳優さんの演技力ってたいしたものだね。それから約束を守ってくださってありがとう」

と言って別れました。

その後、全国公開となり、多くの人が見て、各地で様々な賞を受賞しました。

2009年の1月ですが、突然私の携帯に本木君の声で「ノミネートされました」という電話がありました。

アカデミー賞のことだと知り、何かひと言ぐらい言わないとまずいなと思って

「そこまでいったらアカデミー賞とれるでしょう」

と、口から出まかせに言ったのです。

そしたら、本当にアカデミー賞を取りました。

今日の社会は、何でも分けます。

近代ヨーロッパ的な科学的合理志向で

「これが良くて、これが悪い。だからこうあるべきだ」

と押しつける社会になってきています。

自己中心で、個の確立などといって横のつながりがない。

ありがとうの気持ちがない、まるごと認める力が弱くなっている、そんな社会になっていると思います。

しかし、仏教の「まるごと認める」という教義が、何より必要な時代であると感じています。

私は、納棺の現場では体験したことをもとにして「命のバトンタッチ」という詩を作りました。

今日の公園の題でもあります。

詩の内容は

『人は必ず死ぬんだから命のバトンタッチがあるんです。

死に臨んで先に行く人がありがとうと言えば、ありがとうと答える。

そんなバトンタッタがあるんです。

死から目を背けている人は見損なうかもしれませんが、目と目で交わす一瞬のバトンタッチがあるんです』

というものです。

この詩は、親鸞聖人が『教行信証』であとがきに示しておられる『先に生まれんものは後を導き、後に生まれんひとは前を訪へ、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す』というお言葉に感銘して作ったものなのです。

「先にお浄土へ行った人が、残った人を導いているんですよ」と。

だからそこをお訪ねしなさいということです。

これは、お念仏をした人でないと気づかないことなのかもしれません。

私も人生の終わりの時には、「如来さまありがとう、そして、みなさんありがとう」と言って死んで行きたいと思っています。