平成29年10月法話『流転 人は得意なもので迷う』(前期)

「これだけは他の人に負けない」というような、得意なもの、自信をもっているものがあるという方もいらっしゃるかと思います。

それについて努力を重ねてきた結果、そのような思いに至っているわけですから、それは素晴らしい事でもあります。

しかし気をつけなくてはならないのは、「得意なもの」、「自信をもっているもの」という思いは、ときとして「自分は他の人より優れているのだ」という気持ちに変わってしまいます。

私たちは自分が他の人より少しでも社会的にも、様々な能力においても優れた存在でありたい思っています。

特に自分にとって「得意なもの」などに対してその様な気持ちに陥りがちではないでしょうか。

これは仏教でいう「驕慢心」(きょうまんしん)、つまり驕(おご)り高ぶるこころです。

この「驕慢」(きょうまん)のこころは、自分の知識や考えのみが正しいと思い込み、他の人の違った思い、考え方を否定したり排除しようとしたりします。

ですから自分の気持ちを否定されると私たちのこころはすぐに怒りへと変わります。

仏さまの智慧の光に照らされ、あきらかになった私の姿を「愚痴」(ぐち)といいます。

ここでいう「愚痴」とはあらゆる物事を自分中心にとらえ、ありのままに見ることのできないという意味であります。

「愚痴」なる我が身を知らず、「驕慢」のこころをむき出しにして、「私はよく理解している」「よく分かっている」という思い込みの中で、他の考え方や意見に耳を傾けることなく否定し排除していく姿は、まさに「迷いの姿」といえるでしょう。

自分が「迷っている事すら気付いていない事を本当の迷い」と言うのだと思います。

「流転 人は得意なもので迷う」。

自分がこれは「得意だ」と思っている事ほど迷いの原因であるのかもしれません。