平成29年12月法話 『振り向けば 出会いあり 別れあり』(中期)

早いもので、平成29(2017)年も、残すところあと半月ほどになりました。

私たちの人生は、「出会いと別れの繰り返し」だと言えますが、その言葉通り、この一年を振り返ってみると、いろんな人との出会いがあり別れがあったのではないでしょうか。

そんな中、本当は別れた人よりも出会った人の方が多いはずなのですが、実感としては出会った人よりも別れた人の方が多かったような気がします。

なぜなら、「出会いは偶然、別れは必然」と言われるように、出会いは「偶然」なので、その人と出会った時のことは、よほど印象的な出来事がないと「今でも鮮やかに覚えている」という人はあまりいないかもしれませんが、別れは出会いがあれば「必然」のことなので、その人と出会ってからの思い出が多ければ多いほど、その別れが深い悲しみに包まれ心に刻み込まれるからかもしれせん。

ところで、この地球上には70億人あまりの人が生きているのだそうですが、さて私たちはいったい何人の人と「あなたと出会いましたね」と、お互いにうなずきあいながら言うことができるのでしょうか。

「出会い」ということについて改めて考えてみると、もしかすると自分では出会っていると思っていても、それは一方的な出会い方をしていることがあるかもしれません。

「近しといえども見えず」という言葉があります。

これは「近いからといって、必ずしもよく見える訳ではない」ということです。

確かに、物を見るときは一定の距離を置くとよく見えるのですが、あまりにも近すぎるとピントが合わなくて、かえって見えづらいということがあったりします。

同じように、私たちの心は無意識のうちになのですが、よその家庭のよい様を目にすると、「自分の家庭もああでなくてはならない」と感じ、親なら親に対して、あるいは夫や妻、兄弟姉妹、子どもに対しても、自分勝手な枠を作り、一人一人をそれで測ろうとし、しかもその枠内に納まらないと、他人であれば絶交、もしくは修復不能とも思えるような言葉をぶつけたりすることがあったりします。

けれども、その人が亡くなってしまうと、私の身勝手な思いで作った枠は木っ端みじんに砕け散り、見えていなかったその人の本当の姿が浮かび上がってくるような感覚にとらわれることがあります。

また、たとえ死別ではなくても、その人と離れて暮らすようになると、不思議なことに、その人と言葉が通じ合うようになったり、思いが通い合ったりするようになったりするものです。

物だけでなく、人との間にも一定距離感がないと、その人のことを正しく見究めることは難しいことを教えられます。

それと同時に、今出会っている周囲の人たちと、どのような関わり方をしているか。

もしかすると、近ければ近い人ほど、自分の身勝手な枠にはめ込もうとして、その人の本当の姿を見誤ってはいないかと、反省されられます。

一方、「別れ」については、最近「失いざかり」という言葉に出会い、いろいろと考えさせられています。

これは俳人・新聞記者であった折笠美秋さんの『死出の衣は』の中に出てくる言葉で、次々と知人の訃報が届く悲しみを表現されたものです。

「働きざかり」という言葉は聞いたことがありますし、この言葉からは生き生き躍動する姿が思い浮かびます。

それに対して、「失いざかり」という言葉には、なんとも言いようのない深い悲しみと、一抹の寂しさが漂う気配を感じます。

まだ、一応自分では「働きざかり」のつもりではいるのですが、自分が子どもの頃すでに大人だった方たちの訃報接することがあります。

そうすると「あの人が亡くなったのか…」とか、「この人も亡くなったのか…」という言葉が口をついて出るようになり、そういう人たちとの別れが続いたりすると、「これが失いざかりということなのかな」と、この言葉の持つ感情の一端が理解できたような気もしたりします。

また、そういった上の世代の人たちだけでなく、小・中・高時代の同級生の葬儀を勤めたり、大学時代以来なかなか会う機会はないものの、毎年、年賀状のやりとりを続けてきた友人の息子さんから、「昨年、父が亡くなりました」という報告が一月半ばに届くということがあったりすると、上の世代の人たちの訃報には「年齢順」という言葉で比較的穏やかな受入れ方をする面もありますが、同級生の訃報にはやはり大きな驚きを覚えます。

そして、やがてそれが続くようになる「失いざかり」を迎える時がくるのかな…と、思ったりもします。

ところが、日頃いろんなことに追われるように生きていると、自分がいつか必ず死ぬべき存在であることを忘れて、ただその時々の場面を乗り切ることに懸命になったり、時には浮いた生活に我を忘れてしまったりして、「自分だけは、まだまだ元気でいるに違いない」という、自分勝手な思い込みをしていることに、なかなか気づき得ないものです。

そのようなあり方の中で、この一年を駆け抜けるように生きてきた訳ですが、一年の終わりに、今年を振り返ると、いろいろな人の出会いがあり、また別れがあったことが思い起こされます。

そして、それぞれの出会いには何かしらの意味があり、同様にその別れにも大切な意義が込められていたのだと思われます。

私たちは、人生の途上で、多くの人との出会いと別れを通して、たくさんのことを学び、それを生きる糧として生きる中で、自分が自分に生まれ、そして自分として生き、そして死んでいくことの意味を知るように思われます。