平成30年1月法話 『やさしさを顏にも言葉にも』(前期)

諸行無常の世に身をおかせて頂くこの身が、今年もまた新年を迎えさせていただいたことを心より有り難く思うことです。

1日いちにちを大切に大事にしていきたいものです。

先月、とっても嬉しいことがありました。

10年程前に、鹿児島県内各寺の僧侶とご門徒の方々と一緒にインドに仏蹟をたずねる旅に行かせていただきました。

約30名程であったと記憶しています。

その時に、私のお預かりしているお寺によくお参りされているご門徒さんに「いっしょにインドに行きませんか?」とお誘いしたところ、「行きたいのですが、足が痛くてなかなか思い通りにいきません。せっかく誘って下さったのにごめんなさいね。」という返事でした。

その数日後、その方から連絡があり、「私は行けないのですが、孫娘が私の代わりに行きたいと言っています。是非連れていってください」と連絡がありました。

当時、大学生だった彼女は、参加者の中で最年少ということもあり、ご一緒したご門徒のおじいちゃん・おばあちゃん達に自分の孫のようにとってもかわいがられていました。

おかげでその旅行の雰囲気がとっても和んだことを憶えています。

その彼女が、先月、生まれたばかりの赤ちゃんを連れて、お参りにきてくれました。

10年前、まだ学生だった彼女が結婚をし、そして赤ちゃんを授かり、そしてお参りしてくれたことを本当に嬉しく思ったことです。

生まれたその赤ちゃんは女の子でした。

そのかわいらしい顔をした赤ちゃんが、お母さんに抱かれながらニコニコとほほえんでいます。

するとその赤ちゃんの顔を見たお母さんのその顔も自然とやさしい笑顔になり、そして赤ちゃんにかける言葉も自然とやさしい言葉があふれ出てくるのです。

その親子の様子をみているとこちらまでやさしい気持ちになりました。

親鸞聖人が真実の経典として大切にされた浄土三部経のひとつである『仏説無量寿経』の中に、「和顔愛語(わげんあいご)」という言葉が示されています。

「和顔」とはなごやかな顔、「愛語」とはやさしい言葉のことです。

なごやかな笑顔で愛情のこもったやさしい言葉で相手に接するという意味です。

そして『仏説無量寿経』では、この「和顔愛語」の後に「先意承問(せんいじょうもん)」という言葉が続いています。

先に相手のおもいを察して、その望みを満たしてあげるというのです。

つまり相手の身になって行動するということです。

私たちが人と接する時、なごやかな笑顔と愛情のこもったやさしい言葉をかけ、相手のおもいを察して、相手の身になって行動し、その人のおもいを満たすことができたならば、相手のこころを穏やかにすることができることかと思います。

そのためには先ず相手のおもいを承って心の内を思うていくことが大切なことです。

相手のおもいを満たそうとした時に、はじめてこころからのほほえみとやさしい言葉があふれ出ると思うのです。

仏教徒が実践すべき徳のひとつに「布施」があります。

他者に対する慈悲のこころを何かを与えることであらわすことが大切であるとされています。

この「布施」にはお金やものだけではなく、笑顔ややさしい言葉も含まれるのです。

財がなくてもいつでもだれでもできる「布施」があります。

そのうちの2つがおだやかな笑顔の施しであり、やさしい言葉の施しなのです。

すなわち「和顔愛語」も大切な「布施」といえるのです。

私達の日常の生活においても相手の身になっておれがおれがではなく、お互いがお互いをおもい・敬って、「和顔愛語」の世界が作られていければすばらしい。

そう思うことです。