さつまの真宗禁教史2月(中期)

四十一回

鹿児島門徒の信仰(その3)

―カヤカベ教―

前回四十回 より真宗禁教下において霧島神道と融合して成立し、霧島山麓に現存する「カヤカベ教」を紹介してきました。

それは極めて特異な念仏信仰で、浄土が身近なものでした。

例えば念仏者が浄土に到達に要した時間が記録された史料が残存しています。

本願寺19代門主本如が最速で「一トキ」で浄土に到着しています。

その他、一般の信者についても「上村こやしの郡甚兵衛 子善兵衛内房 二時二合」とあり、善兵衛の奥さんは、二時二合、一時間半くらいの時間を要してお浄土へ着いたようです。

そしてまた、お浄土へ往った人々が娑婆の縁者に手紙を送り、お浄土の様子などを詳細に報告しています。

例えば

「横川町田原郡のおゆみから、娑婆の父様と母様へ手紙がきた。

私たちは阿弥陀如来さまの御前に参いらせて頂き、お薬師さまのお側役を勤めさせて頂いています。

有難い事はこの上もありません。

さて、お母さん、お薬師様のお供の人数は二百三十五人で御座います。

その内、私ども二十五人には三味線を弾かせ、また外の二十五人には太鼓を打たせ、十五人には琴を弾かせ残りは萩や花笠女の踊りをおどり、六十九院の宮までお供いたします。

そういたしますと、阿弥陀如来さまのお供、四百七十五人の人々が迎えにこられます。

有難いことです。

あなた方も永くは娑婆にいることが出来ないのですから、よくよく阿弥陀如来さまの御恩を喜んで下さい。

かえすがえすお頼み申します。」(意訳)

などとあります。

これは一例ですが、このような手紙がたくさん残されています。

こうして「カヤカベ教徒」にとって、お浄土は極めて身近な存在であり憧れでした。

このように極端な例ではなくても、鹿児島の一般の隠れ門徒もこのような身近なお浄土に魅かれたことと思います。