七日参りの意味

人間の境涯を終えられてから、次の境涯に生まれるまで、長くて四十九日間かかると言われております。

一般仏教ではその間、七日ごとに家族など縁ある方が集まって、次の境涯に良いところへ生まれるように善を追加する追善供養を行ないます。

浄土真宗もこれに準じて、七日ごとに法要をつとめますが、一般仏教とはその意味は大きく異なり、追善の意味でお勤めするものではありません。

人が為すと書いて“偽り”となるように、煩悩具足といわれる私たちはなかなか清らかな行いはできないようであります。

そんな私たちが、亡くなった方を次の境涯に良いところに生まれさせるほどの“善”を積みあげることは、極めて難しいことでありましょう。

煩悩具足といわれる私たちにとっては、すべてのものを浄土へ生まれさせ救い取るとお誓いくださる阿弥陀仏に、先立つ方の命を委ねさせていただく以外ないのであります。

いいえ。

阿弥陀仏のいう確かな仏さまに委ねることができる。

これが嬉しい事なのです。

少し話は逸れましたが、そういう理由で七日参りには追善の意味はありません。

浄土真宗において七日参りの意味は、“先立った方からいただいたお経に出会う時間”です。

大切な方の死に直面すると、「生きるってなんだろう、死ぬってなんだろう。私は何のためにこれから生きてゆくのだろう」そんな問いが浮かんでくるようです。

この問いは、これから生きてゆくものにとって、人生が深められていくような大切な問いです。

この問いに答えを求め生きてゆくことが、先立った方の命を無駄にしないことであります。

しかしながら、この問いは非常に難しく人間の知識は答えを示せず、積み上げてきた経験も役にはたちません。

この問いに答えをくださるのは、お釈迦様のお説法である“お経”しかないのでありましょう。

先立った方はそんな大切な命の問いと、お経に出会う時間をくださったのです。

それが七日参りの時間であり、またご命日法要、年忌法要の時間でもあります。

大切に大切にお勤めさせていただきましょう。

合掌