「家族葬」、最近よく目にすることが多くなったのではないでしょうか。
私が住職のお寺でも葬儀の半分が家族葬になり、これまでのいわゆる一般葬がかなり減りました。
一般葬と家族葬の違いとしては、まず一般葬は身内・家族を始め、ご近所にお住まいの方や、故人の勤められていた会社の方々など、故人と生前に関係のある方を呼び行う葬儀のことをいいます。
列席者様には、通常会葬礼状などをお渡しするのだそうです。
呼びかけをたくさんの方に行うため、場合によっては大規模かつ費用も高額になったりすることもあります。
参列者はお香典をお持ちになりますので、お返しの準備などもあります。
その他、様々な準備(会場案内の看板・忌紙など)が必要になる場合もあります。
これに対し、最近多い家族葬は、参列者を呼ぶことはなく、家族・親族・場合によっては特に親しいご友人のみなど、基本的には身内のみで執り行います。
また、会葬礼状を送らないケースも多いのだそうです。
葬儀自体も簡素なものが多いため、自宅や小さな斎場で行うことがほとんどで、身内だけで葬儀を行うということから、お香典を辞退したり(お返しをしない)、一般葬で行う準備などを省略したりすることも多く、葬儀が行われることをお知らせしないことも多いようです。
簡素で小規模に行うことが多いようですが、費用に関してはケースバイケースで、必ずしも一般葬に比べて安価になるわけではないようです。
近年は質素・簡素で、かつ小規模のため費用がかからないというイメージのある葬儀ということで家族葬が増加しているようです。
また、葬儀を行うご家族の方の中には、地域の人たちに迷惑をかけないため「皆様にお知らせせずに家族葬で葬儀をしました」といわれることもあります。
けれども「迷惑をかける」とは一体どういうことなのでしょうか。
葬儀において大切なことは、葬儀に集まる家族・親族、参列者やお手伝いをしてくださる方、ご縁のある方々に支えられて生きてきたことを葬儀という儀式を通してうなずく共に、支え合い助け合う中で、絆を深めていくことなのではないでしょうか。
亡くなった方の家庭の状況や地域での習慣など、葬儀の背景は多様であり、その形を「これが正解」だと一概に言い切ることはできません。
ただ、人間としての生きざまのすべてを感じる場の葬儀を通して、迷惑をかけながらも多くのものに支えられてきたこれまでを振り返っていく。
さらにその儀式を通して、阿弥陀仏の願いと功徳の中で生かされてきたことをあらためて見出しよろこぶ、そんな葬儀としていくことが浄土真宗においては大切なことなのだと思います。