私が住職をしているお寺でも、ご門徒の方から「お墓やお仏壇のお飾りは生花でないといけませんか」といった質問はよくあります。
結論から申しますと、『生花が望ましい』と言えます。
かつて、お参りは家庭ではお仏壇、外ではお墓が主な対象でした。
ところが、現代ではお仏壇は家庭にはないというところが増え、さらにお墓は実家にあるため、自分はなかなかお参りできず、実家の家族だけがどちらもともにお参りをしているというような状態が増えてきています。
ですから、その中でお仏壇やお墓に生花のお飾りをすることが難しくなってきているようです。
なぜお飾りをするのが難しくなっているのかといいますと、
- 生花は枯れてしまう上、夏場は特にすぐだめになってしまう
- 枯れてしまうと頻繁にお花を替えないといけない
- 生花を買うための費用がかかる
と、いった具合に面倒であるという理由から、簡単に生花を替えられず、さらに遠方であるとお参りも困難であり、より維持することができなくなるといったことから、生花ではなく造花をお飾りすることでそういった欠点を解消できる、というわけです。
事実そういったことはたしかにありますが、それでも生花であることが大切なのにはきちんとした理由があります。
まずお仏壇やお墓にお飾りするお花を『仏花』といいます。
この仏花は阿弥陀様のきよらかな世界の様子を表しています。
そして、その仏花が枯れていく姿をとおして、私たちの命の様すなわち限りあるいのちのありようを伝えているのです。
そのお花をお供えお飾りすることで仏さまにお参りする縁となり、み教えをいただくことができるのです。
お花が枯れるすなわちお花も命を生きているということです。
その姿を通して、限りのある命であるからこそ、限りある花の美しさのように、限りがあるからこそ懸命に生きよ、とみ仏さまのご縁がよびかけていてくださるのですね。
生花が枯れていくからこそ、お花を交換していく必要があります。
替えていく中で、仏さまへのお給仕を通して、仏さまにお参りするきっかけとさせていただいているのです。
ですから、お参りが難しい中でも精一杯ご縁をいただくことを大切に味わう心構えを忘れてはならないのではないでしょうか。
できないことに罪悪感をもつのではなく、自分ができる中で精一杯そのお姿を通して、教えをいただくご縁として大切にお給仕していく心構えを忘れないようにしていきたいものですね。