先日「天使になった妹」という作文を読みました。
「いつもありがとう作文コンクール」(朝日学生新聞社主催、シナネングループ共催)にて最優秀賞として選出された作文でした。
作者は小学一年生の男の子でした。
インターネット上で見ることができます。
作文は夜の病院から始まります。
男の子はお父さんと一緒です。
病院の待合室でお母さんを待っていました。
お父さんは少し怖い表情をしています。
しばらくしてお母さんが車いすに乗って看護師さんときました。
とてもつらく悲しそうです。
お母さんは男の子を見ると、その手をぎゅっと握りしめました。
そのまま3人は家に帰りました。
男の子の家は3人家族でした。
そして、もうすぐ4人家族になるはずでした。
男の子に、妹ができるはずったのです。
男の子は一人っ子だったので、妹が出来ることがすごく楽しみでした。
妹とどんな話をしようか、どんなことをして一緒に遊ぼうか、色々と考えていました。
しかし、男の子は妹と会うことはありませんでした。
その妹は、生まれることなくこの世との縁を尽きていったのです。
男の子はとても悲しみましたが、そのことを両親には言えませんでした。
両親を困らせたくなかったからです。
後日3人はお寺に行きました。
妹とお別れする為です。
男の子は妹のために折り紙でおもちゃををつくり、手紙を書いて供え、手を合わせたのでした。
大変に辛く悲しいお話でしたが、作文全体を通して男の子の目から映るお父さん、お母さんの姿、そして自分の気持ちがありのままの言葉でつづられており心を打たれます。
そして、最後の言葉には深く頷かされる思いでした。
「僕は、手を合わせながら、僕の当たり前の毎日はありがとうの毎日なんだと思いました。お父さんとお母さんがいることも、笑う事も、食べることや話すことも、全部ありがとうなんだと思いました。
それを教えてくれたのは、妹です。僕の妹ありがとう。お父さん、お母さんありがとう。生きていることありがとう。僕には天使の妹がいます。大事な大事な妹がいます。」
この文を読んだ時に、私は無量寿という言葉を思わされます。
無量寿とは限りのないいのちという事です。
男の子は最後まで妹と会うことは出来ませんでした、ですがその妹からとても大きなものをいただいているように思いました。
自分のいのちは決して当たり前に生まれてきたわけではなく、たくさんのはたらきの中で偶然に、奇跡的に生まれてきた有難いものであると、妹のいのちはその男の子の中にしっかりとはたらいているのではないかと思いました。
そのはたらきが男の子の中でありがとうという言葉になって出てきたのではないかと味わう思いでした。
この男の子はそのはたらきに導かれながら、やがて妹と同じ世界に生まれゆくのではないかと思うことでした。
私たちはなぜこの世に生まれてきたのでしょうか。
この世に生を受けたならばいつか必ずこの世との縁を尽きていかなければなりません。
それは10年後かもしれないし、明日かもしれません。
自分のいのちの行き先をよくよく尋ねることが大切ではないかと思わされる御縁でした。