命日や年忌の香典の名前は薄く書かなくてはいけないのでしょうか?

ある方のお通夜の際に、受付のお手伝いをしたことがありました。

通夜に参列する方が香典をお持ちになり、私の隣にいる別な受付の方が、香典を受け取ったあと、隣の私に話しかけて『いま香典をもってきた人は、自分の名前を墨で薄く書いているから読むことができない。なんて書いてあるかわかりますか』と尋ねました。

それを聞いて、確認した名前を伝えると同時に『最近はボールペンやマジックがあるから、墨で書くこと自体が珍しいですが、本来はこうやって書くのが正しいんですよ』とお話しました。

それを聞いた受付の方は『えっ?そうなんですか』と言いながら。

不思議そうな顔をしていました。

今でこそ、何かを書く時には、ボールペンやマジックなどが日常生活の中には溢れていて、書くということ自体は比較的簡単にすることができます。

ところが、昔はどうだったかというと、今のようにペンやマジックはありません。

何か書くときには『筆』を用いていました。

当然筆を使う際には墨を準備しなくてはなりませんから、筆を使って書くということは、ペンやマジックと比較すると、少々難義なことでした。

また、姿勢もしっかりと正し、集中しなくては上手く書くことはできません。

お通夜や、葬儀の際、故人を偲び急いでかけつけなくてはならない時に、墨をすって準備するという余裕や暇はありません。

急いで墨をすり、香典に名前を書きはせ参じる。

そうすると自然と書く字は薄くなってしまいます。

そういったことを踏まえて、香典の字はわざわざ薄く書いたりするわけです。

それでいて。故人を偲んで書く時間は精一杯大切にしながら、故人が命をかけて与えてくださった命を見つめなおす機会を大事に受けとめていくのです。

書く縁を通して、教えや導きにふれていく、命のご縁を大事にしていかなくてはなりませんね。

また、他にも悲しみの涙で墨が薄くなったということをあらわしているとも言われたりします。

悲しみを乗り越え、命のご縁を受けとめ、亡き方が与えてくださったご縁をしっかりと導きとしてうけとめていきたいものです。