無宗教ではいけないのですか?

「あなたの宗教は何ですか?」

と、問われたならば、これをお読みになられている方々の多くは、

「わたしは浄土真宗本願寺派〇〇寺の門徒です」

とお答えになられる方がほとんどかと思います。

しかし今、

「私は無宗教です」

と答えられる方が増えているそうです。

これまでに宗教法人が関係して起きた様々な事件や不祥事などによる宗教に対するイメージ低下の影響も考えられますし、我々宗教に関わる者の日頃の伝道のあり方、姿勢も問われていることと思います。

ここではまず言葉の意味から考えてみたいと思います。

そもそも「宗教」とは、西洋の「religion(レリジョン)」という言葉を翻訳した言葉であります。

その「religion(レリジョン)」にはいくつかの語源解釈がなされていますが、その1つは「再び注意深く見直す」

という意味に解釈されています。

「仏法はわたしのこころをうつす鏡」

とも言われますように、仏教は特に浄土真宗はこの「再び注意深く見直す」とう解釈がピッタリ合う「宗教」であり、またそれが「宗教」の基本であると思います。

その宗教を信仰することによって、病気が治るとかお金が儲かるなどと自分にとって都合の良いことが起こり、都合の悪いものを排除するというようなものが本来の宗教ではなく、むしろそのような自分中心のこころにより迷いの人生を送らないように正しい生き方へと導いていくものが宗教の本質であると思います。

「再び注意深く見直す」

それはもちろん他の人の事ではありません。

そのお法(みのり)に今、出遇っている私自身のことです。

また「再び」ですから、ご縁に遇うその都度その都度という事でもあります。

当たり前だ、当然だ、と思っていたことを、その都度立ち止まって、本当にそうなのだろうかと、振り返って見直してみる。

多くのいのちとの関わり合いの中で成り立ってあるのに、それを忘れ自分中心のこころを振りかざし、私にとって都合の良いもの、悪いものを価値判断とする生き方に終始していないか見直してみる。

このような時代だからこそ、「本当の宗教」が必要であると思います。