私たちがお参りの際には、手を合わせて合掌しお念仏もうします。
その時に、「念珠(ねんじゅ)」とよばれる仏具を用いて合掌します。
なお、浄土真宗では「念珠」といいますが、他の仏教宗派では「数珠(じゅず)」といいます。
これは、もともとはお念仏をとなえる時に、その回数を数える仏具であったことから数珠とよんだのですが、浄土真宗ではお念仏の回数は数えたりすることはないため、数珠とはいいません。
これは、浄土真宗の教え、すなわち阿弥陀如来の教えとは、多くお念仏を称えたものを救うというものではなく、すべてのものを救いたいという尊い教え・願いによってお浄土にお参りさせていただけるからであり、したがって何回称えたかといった回数は問題ではないからです。
ところで、阿弥陀如来の本願には、念仏を称えることを「乃至十念(ないしじゅうねん)」と誓われています。
善導大師は「十念(じゅうねん)」とは、「十声の称名念仏」のことであると明かされました。
また「乃至(ないし)」とは、回数が決まっていないことを示す言葉ですから、現代誤訳では「わずか十回でも念仏して」と述べられています。
さらに親鸞聖人は、『一念多念文意』の中で
【『無量寿経』の本願の文に、「乃至十念」とお誓いになっている。
すでに十念とお誓いになっていることから、一念に限定するのではないと知ることができる。
まして乃至とお誓いになっているのである。
だから、称名の数は定まっていないと知ることができる。
この誓願は、誰もが浄土に往生することのできる他力易行の道をあらわし、如来の大いなる慈悲のお心がきわまりないことをお示しになっているのである】
とお示しになっておられます。
この「乃至」という言葉には、「回数は問題ではない」という阿弥陀如来のみ心があらわれているのだ、おっしゃっておられるわけです。
ですので、何回称えなくてはならない、ではなく一声(ひとこえ)で称えられるだけ、人それぞれになるかとは思いますが、回数が気になるようであれば「乃至十念」ということから、だいたい10回くらいお称えするくらいの気持ちでお念仏もうす、声にだしてお称えしていくということで良いのではないかと個人的には思うところです。
教えを尊く味わう気持ちをお忘れなく。