飲み水だけでは生きていけません。
次に必要なのは農業用水です。
私たちは2003年に「緑の大地計画」として用水路の建設を始めました。
地下水の利用は限界に達したと考え、大河川からの取水工事に着手したのです。
2015年までに全長約27キロメートル、3000ヘクタール以上を潤す一大用水路が完成しました。
当初は、計画を立てるのは簡単でも実行するのは非常に難しく、近代的な工法は地域の実情にそぐわないと考えました。
用水路ができたら、それを使うのは現地の人々なので、この人たちの手で造れて、この人たちの手で維持できるような用水路にするために設計を大幅に見直しました。
山間の細長い谷、小さな平野に多くの人が密集していること、集約的農業であることなどが日本と似ていたため、日本の伝統的技術を探り、福岡県の筑後川に約200年前にできた取水設備に着目しました。
この堰(せき)の凄さは洪水が来ても、渇水状態になっても、一定の水を村に送り続けることができ、機能的に非常に優れたものです。
ダンプカーも重機もなかった時代に造られたものですから、これなら現地でできると大いに期待され、これを現地に適合させて活用することにしました。
着工後3年目あたりから用水路が伸びるたびに次々と緑が広がっていき、人々も戻り、多くの村が復興しました。
ガンベリー砂漠の水路が最大の難工事で、2009年8月、気温52~53度の中で人々が次々と倒れました。
医療機関が熱中症で人を殺しては問題です。
「もうやめよう、またやり直そうよ」と呼びかけましたが、人々は手を休めませんでした。
作業員たちはかつては難民でした。
この人々の願いはたった二つ。
一つは1日3回ご飯が食べられること、もう一つは自分の故郷に自分の家族と一緒に住めることです。
この用水路が開通したら願いを叶えることができる、開通しなかったら自分たちは再び路頭に迷う。
生きるか死ぬかというジレンマから生じた、生きようとする強いエネルギー。
これが用水路を完成させた要因の一つだと思います。
全線の試験開通が成功すると彼らは跳び上がって大喜びし、「ドクター、これで自分たちは生きていける」と叫びました。