成田空港にあるシャワールーム。
ステンレスの蛇口をひねれば綺麗な水が出る。
お湯が出る。
久しぶりのお湯のシャワーに身体の緊張がすべて解き放たれる。
こんなに緊張していたのかと自分でも驚く。
日本ではもう腹巻きも、財布につけたチェーンも、鞄につけたロックも必要ない。
腹巻きとは腹巻きタイプのポーチで、これを盗られたらゲームオーバーという大事なもの(パスポートやクレジットカードなど)をここに入れて常に携帯する。
宿の主人さえも迂闊に信用できない地域もあるため、シャワーを浴びるときでさえこのポーチは手元に置いておく。
世界地図を広げたら日本は小さい島国で、この日本の外にはどんな人がいるのだろう。
どんな暮らしが、どんな景色があるのだろうか。
興味津々の私は、バックパックに必要最低限のものを詰め込んで時々旅に出る。
アフリカ・中東・東南アジア・南米など、危険な地域も多い。
細心の注意を払って旅をしているつもりだけれども、これまでにポリスレポートを4枚もらうことになってしまった(ポリスレポートは、海外で何かしらの犯罪に巻き込まれた時に、現地の警察が発行してくれる証明書)。
「夜間は出歩くな」と言われる地域はまだいい。
「日中も出歩くな」といわれるところは、一体いつ行動したらいいのかと突っ込みたくなる。
気を付けながら旅をして、素晴らしい人々、素晴らしい景色に出会い成田空港へ帰り着く。
シャワーを思いっきり浴びながら“日本って平和だ―”と叫びたくなる。
世界を旅すると日本の素晴らしさが余計に見えてくる。
この日本は外国人も羨むほど犯罪が少ない平和な国である。
平和の意味を広辞苑には、『やすらかにやわらぐこと。おだやかで変わりがないこと。戦争が無くて世が安穏であること。』とあり、要するに穏やかな世界を平和というようだ。
仏教では苦しみ・悲しみ・喜びさえも超越した穏やかな真実の世界を“一如(いちにょ)”という。
“一つ(ひと )の如し(ごと )”であるから、一つであるように和み(なご )、調和し、融け合った世界が本当に穏やかな世界であるということを示しているのであろう。
私たちの暮らす世界は自分と他人とを分ける自他分(じたふん)別(べつ)の世界であり、一如(いちにょ)とは真逆の世界である。
自と他に分かれているから相手の気持ちを100%理解することはできないし、自分の気持ちを100%理解してもらうこともできない。
この自他分別の世界に暮らす私たちであるからこそ、お互いに相手を思いやり、分かり合おう、一つに和もうと一如の世界を理想としながら生活するところに平和への道があるのではないだろうか。
聞いた話であるが、東日本大震災の際、避難所を取材した海外のメディアがある事にとても驚いた。
それはこれほどの災害に直面したら、普通は食料の奪い合い、日用品の奪い合いなどの争いがどこの国でも必ずといっていいほど起きるという。
しかし、東北の避難所では争うどころか、人々が助け合い、物資を分け合い、相手を気遣いあっていたという。
その姿に海外メディアは驚いたのだ。
まさに“一つの如し”である。
この海外が羨むほどの平和を壊すことなく次の世代に渡していきたいものだ。