2019年9月法話 『人間だからこそ生き方に迷う』(後期)

私の手元に一冊の本があります。

わずか10数冊だけ出版された本の中の一冊です。

著者はSさん。

自分の家族と親しい人にだけ

自分が亡きあとに渡すつもりで出版された自費出版本の一冊を

家族でもない、友人でもない私が頂いたのです。

 

この本の中に綴られていたのは

かつての戦争に兵隊として出兵したこと

多くの仲間が戦死していく中で

彼だけは無事に生還することができたこと

そして、

その生還できたことからくる

自分だけが生き残ったという痛恨の思いと

亡くなっていった仲間たちに

顔向けできる生き方を自分がしていたのかどうか

苦しい問いかけでした。

 

私がSさんに出会ったのは

ホスピス病棟(緩和ケア病棟)の一室

スタッフから

浄土真宗の門徒さんだと言われる方がいます。

一度会っていただけませんか

と依頼され、彼の病室を訪ねた時でした。

 

色黒で精悍な、

けれども病のせいで痩せてベッドに体を横たえて

少しだけ笑顔を浮かべて

私を迎えてくれました。

付き添っておられたお連れ合い様と三人で

地元のこと

病気のこと

炭焼きだったということ

いろんなことを語り合いました。

 

それから何度か

彼の病室を訪ねて

いろんなお話をしました。

ご長男が一緒の時もありました。

 

段々と彼は仏様のことも話すようになりました。

彼が生まれ育った集落には

集落のお仏壇があり

報恩講(ほうおんこう※)とい法要のときには

集落のみんなが集まって

賑やかに食事をしたことなども

懐かしそうに語ってくれました。

 

そして、

自分は生き残ってしまった

そのことを痛恨に思いで生きてきた

亡くなっていった戦友たちに

恥ずかしくないように

彼らの分まで

しっかり生きようと思って生きてきた

つもりだった……。

 

いつしか、妻や子どもを養わないといけないという思いの中で

彼らへの思いが薄らいでいった自分。

そして、仕方がないんだと言い訳をしていた自分。

あれほど恥ずかしくない生き方をと思っていたのに

気がつけば

自分の楽しみばかりを追いかけていた自分

博打もしたし、いろんな悪いこともしたよと。

 

あれほど強く心に思ったことを

私は忘れて生きてきたんだ

という思いを

若造の私に吐露してくれました。

 

そして

こんなわしだから、地獄行きかなあ

でもなあ

こんなわしだから

仏様はしょうがない奴じゃとたすけてくれるかなあ

とつぶやきました。

 

私はその最後につぶやきにうなづくことしかできませんでした。

 

それからそう日を置かずして

彼は息を引き取りました。

私は、お連れ合い様とご長男と

一緒に目を閉じた枕もとで

お経をお勤めしました。

お勤めしながら、

阿弥陀如来さまは

こう生きようと思っても、揺れ動いてしまう私。

心に決めたことも、すぐに変わってしまう私を

「そんなあなただからこそ、見捨てることはできない」

と、必ず救って下さるんですよと

力いっぱい伝えられなかったことを悔やみました。

 

Sさんと過ごした時間は2週間弱。

そんな短い付き合いにもかかわらず

私は本を書いているんだが、

あなたには私が書いた本をもらってほしいと言われていました。

それが最初に紹介した本です。

彼が亡くなってからできたその本を

後日ご家族から頂きました。

内容は最初に紹介したとおりですが、

この本には

後悔や懺悔の思いと共に

最期に周りの方々への感謝もつづられていました。

 

そして一番最後に

生き残って

死んでしまおうとさえ思った自分だったが

生き残ってしまうと

今度は生きることに執着する

情けない自分だが

行く世界はお浄土で

先立って行ったものも待っていてくれている

とありました。

 

Sさんやっぱりわかっていたんだね。

 

 

※報恩講(ほうおんこう)とは、浄土真宗を開かれた親鸞聖人のご遺徳をしのび開催する浄土真宗にとっては大切な法要です。寺院だけでなく、各家庭や集落等で開催されることもあります。