位牌に書かれてある名前は浄土真宗では「法名」といいます。他宗派では「戒名」といわれます。
法名と戒名はどちらも仏教徒としての名のりです。仏教徒とは、仏陀になることを目指して生活を営む、一言で言えば、仏道を歩むもののことをいいます。その仏道には大きく分けて自力と他力の2つの道があります。
自力とは、自分で厳しい修行をおこない、その功徳によって仏陀に至ろうとする道です。
この道を歩むものにとって、修行に専念できるように生活環境を整えることがまずもって大切です。その生活の規則が戒です。“戒をしっかりまもり修行をおこない、功徳を積み、仏陀となっていくような人生を歩ませていただきます”という名のりが「戒名」です。
他力とは、仏さま、ことに阿弥陀仏があたえてくださる功徳をいただいて仏陀とならせていただく道です。この功徳はお念仏となってこの口にあらわれてくださいますからお念仏の道です。誰もが自力の道を歩み仏陀となれるわけではありません。浄土真宗をひらかれた親鸞聖人ももとは比叡山の自力の修行者でした。20年間厳しい修行を積まれましたが、仏陀へいたることはできず、比叡山をおりて阿弥陀仏のぬくもりに出会われました。
阿弥陀仏は、戒をまもり修行を積むことができないものであっても見捨てることなく救いとってみせるとお誓いになり、大変な修行をされ、その功徳を与えてくださる、そんな仏さまです。この阿弥陀仏に出会われた親鸞聖人は、慶びと同時にご自身の罪深さにも気づかれます。まるで太陽のお照らしが強いほど、その影が濃くなるように。そのときの名のりが愚禿釈親鸞であります。これは戒名とはまったく意味の違うものですから「法名」といいます。つまり“私のこの人生、阿弥陀仏と一緒にお念仏を申しながら歩ませていただきます”という念仏者の名のりが「法名」です。
浄土真宗の方々はその親鸞聖人のお心をうけて「釋○○」の法名を名のられます。
最後に、法名も戒名もいかにいきてゆくかという名のりであり、本来命終わってからいただくものではありません。
浄土真宗では、帰敬式を受けて、ご門主さまより法名が授けられます(様々な事情で帰敬式を受けられず亡くなられたかたに、所属寺の住職より法名が授けられます)。是非是非、帰敬式をお受けいただき法名をいただかれてください。