これから一席おつきあいいただきますのは、日本人が昔から大切にしてきた心、正直な頭に神仏宿るという古いお話でございます。
・・・あらすじ・・・
江戸の麻布谷町に「正直清兵衛(しょうじき・せいべい)」というあだながつくほどの、正直ものの屑屋(くずや)[今でいう廃品回収業者]の清兵衛がいました。
この清兵衛が、いつものように天秤ざるを担いで「屑い、お払い」と掛け声をかけながら通りを歩いておりますと、身なりは粗末なものの上品で器量よしの娘に声を掛けられました。娘に案内されて裏長屋に行くと、その父親の千代田卜斎(ちよだ・ぼくさい)という浪人から、屑の他に先祖伝来の仏像を二百文で引き取ってほしいと頼まれました。元は良家の出ながら今は年頃の娘と二人で貧乏長屋に暮らす千代田は、昼は子どもたちに素読(そどく)の指南(しなん)をし、夜は通りで売朴(ばいぼく)をして暮らしていたのですが、長雨で商売もできず、生活が苦しく、病気治療の薬も買えないような状態だったのです。目利きに自信がなく、もし相場より安く買っても千代田に悪いと清兵衛は断るものの、問答の末二百文で清兵衛が引き取り、それ以上の値段で売れたら儲けを折半するということでお互いに納得し、約束しました。
その後、清兵衛が仏像を籠に入れて歩いていると、目黒白金の細川屋敷の長屋下で高窓から外を眺めていた若い高木佐久左衛門(たかぎ・さくざえもん)という侍がその仏像に目をとめ、屋敷に招き入れられました。仏像を手に入れた経緯を聞き、さらに仏像が腹籠り(はらごもり)[仏像の中に更に小さな仏像があるもの]の縁起物であると知り、気に入って三百文で買い上げました。
清兵衛が帰った後、高木が仏像を磨いていると、台座の下部の紙が破れ、中から小判五十両が出てきました。高木は「仏像は買ったが、中の五十両まで買った覚えはない。元の持ち主に返したい」と、手を尽くして屑屋の清兵衛を探し出し、千代田卜斎への五十両の返却を依頼しました。
そういうことで、清兵衛が千代田のところに五十両を届けましたが、今度は千代田が「仏像は売ってしまったものだから、五十両が出てきたとしても、自分のものではないので受け取れない」と固辞しました。清兵衛もしつこく諭しましたが、最後には無礼討ちにすると千代田が怒り出し、清兵衛は高木のもとへ戻りました。しかし、高木も頑として受取りませんでした。困った清兵衛は、長屋の大家に相談し、大家が「千代田に二十両、高木に二十両、苦労した清兵衛に十両でどうか」と提案し、高木は承諾するも、千代田は拒絶しました。そこで大家は、千代田が何か形になるものを高木に渡して、商いということにしたらどうかという案を出したところ、千代田も折れ、日頃使っていた小汚い茶碗を高木に譲るということで、騒動は一件落着となりました。
後日、この美談が細川家家中に広まり、殿さまの耳にも入りました。そして、殿さまから高木佐久左衛門に目通りの思し召しがあり、その際に茶碗も見たいとのことであったため、高木は茶碗を一生懸命磨きました。
謁見の日、高木が茶碗を持参して殿さまの前に差し出したところ、側従の目利き[鑑定士]が「井戸の茶碗」という逸品であると見定めたため、殿さまは茶碗を所望し、三百両で買い上げました。
高木は、当然千代田に還元すべきと考えましたが、先般来の経緯から、千代田はまるまる三百両は受け取らないであろうと推察し、清兵衛を通じて半分の百五十両を受け取って欲しいと伝えました。しかし、千代田はまたまた受け取りを固辞しました。そこで清兵衛は「このたびも高木様に、何かを形として差し上げて百五十両を受け取れば良いのではないか」と提案しましたが、千代田にはもう形として渡せるようなものは手元にありませんでした。二人の間に入った清兵衛は、自分の仕事もままならず困り果ててしまいました。
そんな清兵衛の様子を見て、千代田はしばらく思案した後「私の娘は、今は貧しくとも、亡き母親がひと通りのことは仕込んであるので高木様がこの娘を嫁にもらってくださるならば結納金として受け取る」と言いました。清兵衛が高木にこのことを伝えると、高木は「千代田様ほどの立派な御仁の娘なら間違いはなかろう」と娘を娶ることを快諾しました。
・・・おち・・・
清兵衛「あの通りの器量良しでございます。今はまだ長屋で燻んでおりますが、こちらへお連れして、きれいな着物をお着るせになって磨いてごらんなさい。もっといい女になって、立派な夫婦になれますよ」
高木佐久左衛門「なに、女を磨く、いやいや磨くのはよそう。また小判が出るといけない」