遠い昔のお話です。
お釈迦さまは、あるバラモンの家に托鉢をしに行きました。お釈迦さまの訪問にバラモンは
「修行者よ、私は田を耕し、種をまいて食を得ている。あなたも自分で田を耕し、食を得てはどうか」
と問いました。
すると、お釈迦さまは
「私も田を耕し、種をまいている」
と答えました。それを聞いたバラモンは驚いて
「しかし、私はあなたが田を耕したり、種をまいたりしているのを見たことがありません。あなたの鋤はどこにあるのですか。 牛はどこにいるのですか。一体どんな種をまいているのですか」
と問いました。
すると、お釈迦さまは
「私は、私のこころの田を耕しているのです」
と、答えられました。バラモンは、その言葉に深く感動し
「あなたは真の耕作者です」
と答えました。
これは「阿含経」に載っているお話です。このお話を聞いてどのように感じられますでしょうか。
私は、このバラモンについて、とてもきちんとした人だと思いました。生活する為に田を耕し、種をまき、食を得ています、非の打ち所がありません。バラモンにとっても田を耕すこと、収穫を得ることに何の迷いもなく、逆に托鉢をされるお釈迦さまの行動が最初は理解できなかったのかもしれません。
確かにこのバラモンのしていることは、生活する上でとても大切なことです。けれども、現実の耕作や収穫物だけに執着してしまうと、人生のどこかで躓いてしまうのではないでしょうか。それは、加齢による力が衰え、突然の病気や怪我による自己の変化、また、長期干ばつや大雨による環境の変化など様々なことが考えられます。
いずれにせよ、田んぼや農具、若さや健康な体は、いつか手放していかなければなりません。そのことに、バラモンは気づかされ、お釈迦さまの言葉に深く感動したのではないかと思います。
このお話は、現代に生きる私たちにも通ずるものがあります。私たちもこのバラモンと同じように毎日の生活に一生懸命であり、なかなか自分自身の相を振り返るという事が出来ないのではないかと思います。
ともすれば、自分の考えが最も正しく、周りの人が間違っていると思いがちです。しかし、それは他者だけではなく自分自身をも傷つける空しい結果に終わります。
お釈迦さまがおっしゃる「こころの田を耕す」とは、どこまでも自分自身の相を問いつづける道です。そして、その道の先には自分も他者も豊かに暮らすことのできる社会があります。
仏法を鏡として、ただひたすらに自分の相を見つめながら、手を合わせる生活をご一緒に歩ませて頂ければ大変に有難いことです。