2020年11月法話 『今しかできないことを大切に』(中期)

私たちは、日々いろいろなことに追われるように生きていると、いつの間にかその日その日を生きることに精一杯といったあり方が、当たり前のようになってしまいます。そして、「あれもしたい」「これもしたい」とは思うものの、先ずは「しなければならなこと」から優先的に取り組んでいく必要があるので、自分のしたいことは、「時間ができたらしよう…」などと後回しにせざるを得ず、気がつけば時間が、月日が、年月が過ぎ去ってしまっています。

そのため、つい時機を逸してしまい、「あの時しておけば良かった」と、後悔することもあったりします。けれども、私たちの人生は何度もでも見直すことはできますが、何一つとしてやり直すことはできません。ただし、見直すことにより、同じ失敗を繰り返さずにすむということはあったりします。

高校2年生と3年生の時、高校の秋の文化祭で友だちとバンドを組んでステージに立つということがありました。文化祭は2日間開催され、1日目も2日目もそれぞれ3グループずつ、合計6つのグループがステージで演奏することができたように記憶しているのですが、2年生の時も3年生の時も出演可能枠の倍以上のグループからの応募があり、いずれの年も夏休みに入ってすぐの時期に体育館で出場権をかけたオーディションがありました。

幸い、2年生の時も3年生の時も「合格」を勝ち取り、文化祭のステージに立つことができました。2年生の時は、初めての参加ということもあり、夏休みが終わってからは、友だちと定期的に集まって練習を重ねました。そのため、ステージでは練習の成果を遺憾なく発揮することができて、かなり満足のいく演奏ができたのですが、なぜか文化祭が終わった途端に、「ステージ上できちんと演奏することに関心が集中して、みんなで楽しむということがあまりできていなかった」ことに気がつきました。

そこで、3年生の時は、前年度ステージを経験しているということで、少し精神面での余裕を持ち得たこともあり、「文化祭当日はもちろんのこと、練習の段階から楽しむこと」を心がけました。「高校生活最後」ということへの意識も強くありましたが、いま思い返すと、何よりも「今しかできないことを大切にしよう」と、前年度の文化祭が終わった時点で、練習からステージ演奏までの心の持ち方を見直したことが、その在り方へと繋がったように思います。

その結果、ステージでは、演奏を心からみんなで楽しむことができましたし、2年生の時には作れなかった「練習の時の楽しい思い出」をたくさん作ることができました。あれからかなりの歳月を経ましたが、実は練習を含めてステージでの演奏のことまで、2年生の時のことはあまり記憶に残っていないのですが、不思議なことに3年生の時のことはステージで演奏した時のことだけでなく、練習時のことまで鮮明に覚えています。

この文化祭にまつわるエピソードは、2年続けて同じような流れの中での出来事なのでとてもうまくいったのですが、人生の全体から見ると、本当に数少ない成功例の一つに過ぎません。振り返ると、「なぜあの時は、もっと早く気づいてすぐにしなかったのか」とか、「あの時にちゃんとしておけば良かった」と、思って後悔していることはたくさんあります。けれども、いずれも「その時にしかできないこと」ばかりです。

いろいろなことが「いつかできる」と思っているうちに、いつのまにか歳月が過ぎてできなくなってしまい、後悔の念ばかりが積み上がっていくような感じです。そういったことから、何とかして抜け出したいとは思うものの、いろいろなことに追われていると、つい後回しにせざるを得なかったりするのですが、今年は新型コロナウイルス感染症の拡大で、これまで関わっていたほとんどの委員会、研修会、会議、大会等が中止や延期になりました。そのため、例年にくらべると少しだけ自分の時間を持つことができました。まさに「いつかできる」と思っていたことをいろいろすることができたのです。

これまでは、いわゆる「公的」なことと「私的」なこととがあると、常に「公的」なことを優先してきたのですが、今年はコロナ禍で「公的」なことに費やしていた時間が空いたことから、幾分「私的」なことに回すことができました。そのとき強く感じたのは、やはり「今しかできないことを大切に」ということです。

では「今しかできない大切なこと」には、どんなことがあるでしょうか。本願寺第八代・蓮如上人は、「若いときにこそ、仏法はたしなみなさい。なぜなら、年をとれば、足が弱って教えを聞く場所にいくこともできなくなり、大事な教えを聞いても眠たくなってしまうからです。」と説いておられます。

ここで蓮如上人が仰る「仏法をたしなむ」というのは、世間一般で言われる「お酒をたしなむ」というような意味ではありません。それは「仏法の教えを聞くことによって、人生において本当に大事なことを忘れて生きていることを教えられ、そのようなわが身を深くかえりみて、人生において本当に大事なことを思いだして生きること」です。

仏法は、ただ一度きりで繰り返すことのできない、また誰とも代わることのできない人生を「どのように生きるのか」と問うことから始まります。そこで、蓮如上人は「生きていくことに問いをもつ若々しい精神があるときにこそ、仏法を心にかけて生きてほしい」と教えておられるのです。

時折、「お寺の本堂で法話を聴くのは、もう少し年を重ねてから…」と口にされる方がいらっしゃいますが、どうやらそれは違うようです。私が「生きている」と実感できるのは、昨日でもなく明日でもなく常に今日であり、まさしく今この時です。そうすると、仏法とは「いつか聴けばよい教え」のではなく、今しか聴くことができない教えです。

人によって、「今しかできないこと」はいろいろあると思われますが、「今しかできない大切なこと」とは、 人生の途上にあっては、まさに「聴聞」、お念仏のみ教えを聴くことだといえます。