2020年11月法話 『今しかできないことを大切に』(前期)

先日、お父様の七回忌の法要を勤めるために、お参りされたご門徒の方と法要後にお話をしたときのことです。その方は、その日のお参りについてこうおっしゃいました。

『今日、このように七回忌のご縁があってよかったです。もし今日の日がなかったなら、私は今ここにいなかったかもしれませんし、また今日お寺で手をあわせていくことで、父の心を感じたりすることもなかったことでしょう。今日のご縁を大切にしたいと思います』

それをきいて私は、非常に尊いことであったなぁと思いました。その方がおっしゃるように、私たちが過ごす日常、この命の歩みは一瞬一瞬の連続であり、そのことの積み重ねです。しかし、その積み重ねを何も感じないまま、ただ漠然と過ごすということもあり、いつのまにか終わっていた一瞬にしがちです。しかし、そのご門徒の方にとってはこの日の七回忌、そして、お父様を偲ぶというご縁を通して、ただの一瞬が実は非常に尊い一瞬だということに気づかせていただけたのです。父の縁がなければそのことに気づくこともないまま、今日の日を終えていたかもしれない、このお参りは、まさしく今しかできないこと、今しか感じることのできない、尊い大切な一瞬の積み重ねのひとつだったのです。

お参りされます際に、皆さんは自然と合掌されるかと思いますが、誰に習ったか、どうしてそうするようになったかも記憶に残っていないくらいに手をあわされますね。この合掌は、お釈迦さまがおられた当時のインドで、右手は清浄(しょうじょう)、左手は不浄(ふじょう)を表します。仏教ではすなわち私たち、人々を表しています。右手が仏さま(ほとけさま)、左手が衆生(しゅじょう)すなわち私たちを表しているのです。この右手と左手をあわせることで、仏さまと私たちがひとつになって、仏に成るという意味があります。ですから、様々なご縁をとおして、お参りした際に手を合わせて合掌しますが、これはまさしく今しかできないことであり、仏さまと私たちが心をかよわせる尊いご縁なのです。そのご縁を感じ味わうということが、大切なことではなかろうかと思います。

様々なご縁を通していただく、手を合わせていくご縁を、今しかできない大切な一瞬と、有難く受けとめさせていただきながら、大切に積み重ねてゆきたいものです。