2021年3月法話 『聞思 ありのままの自分と向き合う』(後期)

知的障がいと視覚障がいをもったK君は

早産であったこともあり、

とても体の小さな子でした

 

ご門徒さんでもあるK君のおばあちゃんが

幼稚園を訪ねてきたのは

K君がまもなく4歳の誕生日を迎える

肌寒さも残る初春の頃でした

「子どもたちの中でいろんな刺激を受けて育ってほしい」

という願いで入園のお願いに来られました

 

園舎はバリアだらけ

私たちも経験がほとんどない

そんな状況ではありましたが

入園をしていただくこととなりました

 

後日、今度はお母さんとK君が来られました

本当に体の小さなK君でしたので

私は配慮のつもりでお母さんにこう言いました

「本当は年中組さんですが、

ひとつ小さな年少組さんから始めますか?」

 

その時のお母さんの戸惑ったような顔を

今でも忘れません

私は、配慮のつもりで、良いことをしているつもりで

実は、お母さんを悲しませ

K君を傷つけていたのです

どんなに体が小さくても、

重複の障がいを持っていても

K君は4年という日を生きてきたのに

私はそのことに気が付きませんでした

自分は「いい人」になってお二人を傷つけていました

申し訳なさと恥ずかしさでいっぱいでした

 

春からK君は年中組の一人として

幼稚園生活が始まりました

何しろバリアだらけの園舎でしたから

危険がないように

サポートする職員が一人ついてはいましたが

同じクラスの子どもたちと

元気に遊んでいる姿をよく見かけていました

 

同じ年齢のクラスでよかった

子どもたちの力を信じてよかったと

心から思っていました

そして、年長組になり

K君も随分たくましくなり

外でも遊びも楽しむ機会がとても増えてきました

 

そんなある日

K君がアスレチックの前に

ぽつんと立っているように見えました

あれっ、と思ってアスレチックの先を見ると

いつもよく遊んでいる仲間たちがいました

 

私はとっさに

「K君をおいて先に行っちゃったんだ」

と思って、アスレチックのところに行き

「K君階段上ろうか」

と手を添えようとしたとき、アスレチックの上から

「園長先生、手を出しちゃダメ」

「K君自分で出来るんだから」

という声が飛んできました

 

みると、先に行ってしまったと思っていた子たちが

私の方を見ていました

そして、その声に応えるかのように

私の手など借りることなく

K君はゆっくりゆっくり階段を上り

待っていた子たちと合流して、先に進んでいきました

 

子どもたちが行った後をみると

足元にあった遊具がきちんと脇にどけてありました

なかまたちは先に行って

K君がつまずかないように、遊具をどけていたのだとわかりました

 

子どもたちの一緒に生きる力のすごさに

胸が熱くなると共に

あの入園の時に、お母さんに伝えた言葉が

思いだされて、自分の情けなさにしばらく呆然としてしまいました

 

私は何をやっていたのでしょう

私は何を見ていたのでしょう

 

子どもたちはK君ができることできないことを

一緒に生活する中でしっかりと分かっていました

だから、階段を上る時には助けがいらないことを知っていて

足元でつまずきそうな遊具を脇にどけながら待っていたのです

子どもたちはしっかりとK君の力を信じていました

 

それができていなかったのは私でした

いつも一緒にいるのに遊びに夢中になったら

放っておくんだと、子どもたちのことを信じられなかったのも私でした

そして

自分だけが「いい人」になって、手を貸そうとてました

その思い上がりは、子どもたちの「ダメ」という声に

かき消されていきました

 

K君の就学についても

お母さんの思いをたくさん聞かせていただきながら

小学校先生方、特別支援学校の先生方に何度も園に集まっていただき

じっくり語り合う場も作らせてもらいました。

 

手探りでK君との園生活を作っていきましたが

学ばせていただくことも、気づかされることもいっぱいでした。

 

K君とお母さんと仲間たちとのことは

20年以上も前のことですが

それでも、今でも一つ一つのシーンを鮮明に覚えています

 

仏様は光だと教えられます

光が照らせば、どんなに隠していた埃も浮かび上がってきます

仏様は鏡だとも教えられます

鏡には、隠しようのない私のすがたが映し出されます

 

K君は

お母さんは

そして子どもたちは

まるで仏様のおはたらきのように

私の思い上がりを照らす光や鏡のように、私のありのままの姿を見せてくれました

 

自分のありのままの姿を見ることはしんどくもありますが

それ以上に、

教えられ気づかされたうれしさがはるかに大きいと思います