お盆が過ぎ、秋の彼岸が近付いてきました。
どちらも先に亡くなられた大切な人を偲ぶご縁ですが、さて「大切な人はどこへ?」という思いを持たれた方は意外と多いのではないでしょうか。
もちろん、宗教や宗派によって説き方はそれぞれ違うのでしょうが、浄土真宗ではそれは極楽浄土であると説かれます。
よく耳にする「天国」というのは仏教では
「六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)」
の迷いの世界であると説かれます。
もし大切な人が未だ迷いの世界にいらっしゃるとするならば、これほど悲しいことはありませんね。
仏教の究極の目的は成仏(仏に成る)することです。
それは、阿弥陀仏のはたらきによって迷いの世界から離れ、極楽浄土でさとりを開くことですから、天国や冥土という迷いの世界に行かれるはずはありません。
特に「あの世」などという表現は、迷いの世界を離れた大切な人に対して、自分達とは遠くかけ離れた存在として扱っていることになるのではないでしょうか。
「大切な人」と言いながら、とても失礼な言い方のように思われます。
また、亡くなられたことを「永眠」という言葉で言い表されますが、決して極楽浄土に往かれた方々は眠ってなどおられません。
さとりを開かれたら、先ず迷いの世界に執着している私たちを極楽浄土へと導くために、お念仏のはたらきとなって私たちのもとに還って来て下さいます。
遠くかけ離れるどころか、お念仏の声を通して、これほど近くにおられる訳ですから、極楽浄土は「あの世」などではなく、また大切に人は私たちと共にいて下さるのです。