たまに、どんな宗教でもすべて「救い」を説くのだから、最終的にはたどり着くところは一緒だとか、どの教えも突き詰めていくと同じようなものだといわれる声を耳にすることがありますが、これは宗教を哲学や道徳の延長として見ていて、宗教としてとらえていない方々の意見ではないでしょうか。
人は生まれ、老い、病み、死んでいきます。
それを苦しいこと、悲しいこと、辛いこととは分かっていてもどうすることもできない。
しかし宗教(お釈迦様のみ教え)はそのどうすることもできない悲しみさえもありのままの私の姿であると気づかせ、その自らの事実を受け入れることにより生きる糧へと、力へと変えていくはたらきをします。
一日中あれが欲しいこれが欲しい、あの人がどうしたこの人がどうしたといった煩悩にまみれ、どうすることもできない私たちだからこそ必ず救うぞ、とお誓い下さった阿弥陀如来の世界が西方極楽浄土です。
その願いとお働きが至り届いている姿こそ、私の口からこぼれてくる南無阿弥陀仏のお念仏です。
他の宗教にはそれぞれ他の世界があります。
仏教にも様々な仏様がつくられた仏国土があります。
しかし自分でどうすることもできない私たちは阿弥陀様のお呼び声をただただ聞かせていただくしかないのではないでしょうか。