我が家では、何かものを頂くと、まずお仏壇にお供えをします。
子どもの頃、なぜ仏壇にお供えするのだろうと子どもながらに不思議に思ったことです。
例えば、何か食べ物をお供えしても、お仏壇の中におられる仏さまが食べられるわけでもないし、仏さまがお腹を空かされるわけでもないはずなのに、なぜなのだろうと思っていました。
このことについて、私は最近こう受け止めるようになりました。
それは、頂きものをまず仏前にお供えし、それを仏さまからのお下がりものとしていただくことによって、全てのものを大切な意味のあるものとして頂いていける心が育まれるのではないかということです。
振り返ってみますと、私は頂いたものだけでなく、成績表や卒業証書まで仏前にお供えしていた記憶があります。
ただし、成績表をお供えするのは、
「もっと成績が上がりますように」
とお願いしていたのではありません。
確かに、成績が悪ければやはり自分で努力をしなければなりません。
今になって思えば、成績表や卒業証書を仏壇にお供えし、それをお下がりとして頂くというのは、周りの様々な人々に支えられながら生かされてきたこと、そしてそれらのものを学校からもらえるまでに大きく成長したこと等を感謝する意味があったのではないかと思うのです。
いったんお仏壇にお供えし、それをお下がりとして頂くことによって、私はそう受け止めることが出来ようになりました。
このような意味で、頂きものはまず仏前にお供えし、それを仏さまからのお下がりとして頂くところに大切な意味があるように思われます。