「亡くなった方の為に、お膳をお供えしたい」
という気持ちは、人間の情としてよくわかります。
しかしながら、浄土真宗では、お膳を仏前にお供えしません。
それは何故でしょうか。
それは、
「お浄土では、いつもすばらしいご馳走が用意されており、その美しさを見て、香りをかいだだけで満足する」
とお経の中に説かれてあります。
ここで注意しておかねばならないのは、お浄土をこの娑婆世界の延長として理解し、そこは結構づくめの世界で、欲望の全てを満足させてくれるところだと期待することです。
お浄土とは、煩悩とは切り離された清浄なる世界であり、たくさんのご馳走に恵まれていても、ガツガツ食べるような食欲旺盛なものはいません。
しかも、亡き人は仏さまと同じ悟りを開かれ、娑婆世界に還って迷えるすべてのものを救うためにはたらいてくださるのです。
ですから、いまさら亡き人に対してこちらからなにかをさしむけるものなど何もありません。
よって、お膳を仏前にお供えする必要もないのです。
ただ
「亡くなった方にもお膳をお供えしたい」
という人間の温かい情は大切にしたいものです。
したがって、何もお供えしてはいけないということではありません。
仏前におそなえする供物は基本的には
「餅・菓子・果物」
など三種類ですが、例えばこれは肉や魚などではなく、お精進のものに限りますが、亡くなられた方のお好きであったものを料理され、それをお供えして、お参りのあとにご縁のあられた方々がご一緒に召し上がりながら、亡くなられた方を偲ばれるということは、差し支えないように思われます。
何よりも、法事は食事ではなく仏事なのですから、そのことをご縁として、私たちがしっかりと仏さまのおこころを聞いていくことを亡き人も一番に願っておられることでしょう。