三途の川と聞きますと、昔話などによく登場してくるように、賽の河原や六文銭といった言葉を想像されることと思います。
またお葬式の時、棺に六文銭を入れたりする風習も残っている所もあるようですが、これは三途の川とはいわゆる“あの世”へ行くために渡らなければならない川であるとされ、その渡し賃が六文であると伝えられていることに依るようです。
この三途の川とは、仏教や日本の葬儀の中に元々あった教えではなく、中国の道教の『十王経』という経典が由来となった風習で、平安時代に日本に伝来し、仏教と融合しながら時代を経て、現在の風習として定着したと言われています。
したがって宗派によっては、三途の川信仰を用いる宗派もありますが、私たち浄土真宗においては、
「往生即成仏」
の教えを拠り所とします。
すなわち、その迷いのこのいのちが尽きたすぐの時に、私たちは阿弥陀如来の本願力のおはたらきによってお浄土に往き生まれます。
つまり
「迷いのいのちが終わると同時に、そのまま仏とならせていただく」
と受け取っていくことが、何よりも大切です。
親鸞さまは、この三途を
「地獄」
「餓鬼」
「畜生」
の三悪道として示されました。
まさに今、三途と例えられるこの川にどっぷりと浸かり、更にはそこにいることさえも気づかないまま右往左往しているのが私の姿だといえます。
そして、そのような私であればこそ、いよいよ自分が歩みを進めるべき方向は
「彼の岸」
といわれる阿弥陀如来の浄土であることを知り、仏さまの光明に照らされる中に、自分の立ち位置をしっかりと確認の出来る、大きな拠り所をいただくことは、まことに尊いことだといえます。
この娑婆世界こそ、三途の川の真っただ中なのかもしれませんね。