慈悲の
「慈」
とは
「生きとし生けるものをいつくしんで楽を与えること」、
「悲」
とは
「衆生を憐れみいたんで苦を抜くこと」
という意味です。
ただし、この場合の楽とか苦とは、私たちが日頃理解している、自分にとって都合の良いことが楽、都合の悪いことが苦といったような単純なことではありません。
したがって、仏教で語られる慈悲とは、私たちの都合によって左右されるようなものではなく、覚りの智慧を実現することをいいます。
つまり慈悲とは、仏教によって明らかにされたいのちの真実への目覚めを促すことだといえます。
また
「楽を与え・苦を抜く」
ということは、覚りの智慧の世界、
「無有衆苦、但受諸楽(すべての苦が滅して、ただ楽のみがある世界)」
が実現したことを意味します。
これを覚られたお釈迦さまの立場からいえば、迷い続ける私たちに覚りへの道を明らかにし、その実現を促してやまない働きにほかなりません。